現代ビジネス2/7(火) 7:02 佐藤 千矢子(毎日新聞論説委員)
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新聞記者というのは、会社に所属していても基本的には一匹狼だ。しかし、管理職になれば、当然、会社や組織の事情と無縁ではいられない。政治部長になって戸惑ったことはたくさんあるが、女性記者にどうやって気持ちよく働いてもらうかについても悩みが多かった。

例えば人事異動の季節になると、政治部でも女性記者を多く採るよう会社サイドから口を酸っぱくして言われる。地方支局や他部署からまず希望者を探すのだが、政治部の場合「なんとしても政治記者になりたい」という人は毎年、必ずいるものの、数自体は多くはない。仕事がきついということもあるが、やはり特殊な世界で、仕事のイメージが湧きにくいからだろう。女性記者となれば、希望者はかなり限られてくる。

新聞社で人気の部署はその年によって異なるが、最近はデジタル部門や、くらし関係の部、外信部、運動部、学芸部、科学環境部などに人気が集まっているように見える。

女性が働くにあたって、結婚は今の時代さすがに障害にはならないと思うが、出産や育児というライフイベントを仕事と両立しながら乗り切っていくのは、簡単なことではない。「ワンオペ育児」と言われるように、育児も家事も、さらに働く女性は仕事も、すべて女性が一人でこなさなければならないという環境は、いっこうに変わる気配がない。子どもが大きくなるまでは、短時間勤務が必要になる女性記者は多い。

自分が人事をする側に立った時、どうやって女性記者を政治部に口説くか、そのうえで果たして何人まで増やせるだろうか、と考えた。政治部で育児休業を何人もの記者が取ったり、制限勤務の記者が多数出てきたりしたら、組織は果たして回るのだろうか、一体どうやったら回せるのか。もし政治部に入ってきた新人記者が、仕事に慣れる間もなく、いきなり出産・育児で長期間、休むと言った場合、それは当然の権利なのだが、部全体で気持ちよく応援してあげられるのか。その新人記者が不当に責められることにならないか。私自身も人事の見通しの甘さを批判されるのではないか――。

男性記者を採る時には、ほとんど考えないようなことをあれこれ悩み、軽い自己嫌悪を覚えた。本来、男性も育休を取るように推奨されているわけだから、女性記者を採るにあたって悩むというのは、おかしなことだ。これでは、自分も「オッサン」と変わらないのではないか。ミソジニー(女性嫌悪、女性蔑視)と大差ないかもしれないと思った。

管理職経験のある男性たちは、おそらく同じようなことを感じたことがあるのではないだろうか。そういう女性登用の「壁」を乗り越えるにはどうしたらいいかも、この本で考えていきたい。

さらに視野を少し広げてみよう。

2021年2月、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長だった森喜朗元首相が、女性を蔑視する発言をし、会長辞任に追い込まれた。日本オリンピック委員会(JOC)評議員会で、女性理事を40%以上に増やす話し合いが行われた場で発言したもので、次のような内容だった。

「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」
「女性は誰か一人が手を挙げて言うと、自分も言わないといけないと思うのだろう」
「『女性の理事を増やす場合は、発言時間の規制を促しておかないと終わらないので困る』と(誰かが)言っておられた」
「組織委員会にも女性がおられるが、みんなわきまえておられる」

会議で意見を言うかどうかは、性別の問題ではない。女性の行動と勝手に結びつけて非難するのは、明らかな女性差別だ。それに、おそらく森氏は、会議の長さというよりも異論を嫌ったのだろう。異論を排除し、オッサン中心の「異議なし」で終わる会議を続けていきたい、そのためには異論を唱える人は排除したい、そんな考え方が透けて見える。多様性の重視が叫ばれているのに、それに逆行した発言だった。

経団連の中西宏明会長(当時)は、森発言について「日本社会にはそういう本音があるような気がする。それがぱっと出てしまったかもしれない」と語った。

■日本社会の本音? 
その日本社会に、女性は入っていないのだろうか。「日本社会の本音」ではなく、「オッサンの本音」が出たのではないか。森発言後のさまざまな反応は、発言を問題視しているようでいて、問題の本質をどれだけ理解しているのか、疑問を抱かせるものが多かった。