そのデモ活動は、東京だけではなかった。ある時は北海道の人が、別の日には愛知の人が、時には1人でも街頭に立ち、3万人以上が死亡している惨状を何とか変えようと訴えている。何が彼ら、彼女らを駆り立てるのか。

【写真】戦闘開始から半年 東京で反戦訴え
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 今月1日、国際NGO「ワールド・セントラル・キッチン」のロゴ「WCK」が入った車3台が、パレスチナ自治区ガザ地区を走っていた時だった。イスラエル軍の攻撃を受け、メンバーの7人が死亡したという。WCKが2日、明らかにした。

 2023年10月7日にイスラエルと、ガザ地区を支配するイスラム組織ハマスの戦闘が始まって半年がたった。だが、パレスチナ自治区では今もイスラエル軍の攻撃を受け、死者はこれまでに3万人を超えている。

 そんな中で、東京都内に住む作家・詩人の松下新土さん(28)は、ガザ地区で暮らす友人のアリアさん(23)に思いをはせながら、戦闘の翌日にハンガーストライキを始めた。

 ガザ地区は周囲には壁が立ち、検問所で人や物の流れが制限され、浄水を得ることも極めて難しい。こうした状況から元々、生活環境は極限の状況だった。アリアさんは空爆で家を追われて避難を繰り返し、今は飢餓状態にあるという。

 22年と23年にパレスチナを訪れたことがある松下さんは、今回の戦闘が始まると「戦闘を止めなければならない」という思いに駆られた。

 同時に、友人が生死の境にいるのに自分は無事に生きているという罪悪感にもさいなまれた。

 ハンガーストライキを思い立ったのは、そんな気持ちからだ。計2回、延べ3週間にわたった。この間、イスラエル大使館(東京都千代田区)の前で、停戦を訴えたこともあった。

 大使館前でのデモで松下さんが出会った一人が、広島市から来たユダヤ系アメリカ人のレベッカ・マリア・ゴールドシュミットさん(37)だ。自身のルーツでもある国が罪のない人々を殺すことに耐えられず、戦闘開始から約1週間後の13日から原爆ドーム(広島市)の前に立ち、反戦を呼びかけている。

 デモをする人は、次々に増えていった。国籍も年齢もさまざまで、ネット交流サービス(SNS)を通じて現地の情報が直接届くこともあり、若い世代も目立つ。場所も北海道や長野、愛知など全国に広がっている。

 戦闘開始後、デモで出会った若者らによる「<パレスチナ>を生きる人々を想(おも)う学生若者有志の会」も発足し、東京でデモを重ねた。会には松下さんも加わっている。

 メンバーの皆本夏樹さん(25)は「在日パレスチナ人の集まりもでき、デモに来てくれる」と話す。2月18日には、有志の会の呼びかけに応じて20カ所以上でデモが実施されるなど、他のグループとの連携も生まれている。

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Yahoo!Japan/毎日新聞 4/7(日) 15:30配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/7962981d1f69d2c2faf7a242a0cfa0c418a8eaaf