幕末の志士、坂本龍馬が寺田屋事件(1866年)で幕府側に襲撃された後、かくまわれた「薩摩藩伏見屋敷」の絵図が見つかり、京都市伏見区の神社「城南宮」が3日、発表した。
屋敷は1868年の鳥羽伏見の戦いで焼けた。敷地の広さや建物の配置、間取りなどが初めて明らかになった。

http://www.nikkei.com/content/pic/20170603/96958A9E93819695E2E19AE6868DE2E1E2E4E0E2E3E59191E3E2E2E2-DSXMZO1728109003062017CC1001-PN1-2.jpg
発見された「薩摩藩伏見屋敷」の絵図=城南宮提供・共同

京都国立博物館の宮川禎一上席研究員は「歴史が動いた舞台の詳細が分かる貴重な資料」と評価。「龍馬は屋敷の北東、管理者がいた部屋の周辺に担ぎ込まれたのではないか」と推測する。

寺田屋事件は、薩長同盟を取り持った龍馬を伏見奉行所の役人が襲撃。負傷した龍馬は材木小屋に身を隠し、薩摩藩が救出、屋敷に運び込んだ。
幕府側が龍馬を引き渡せと迫ったが、薩摩藩が拒否、両者の亀裂が決定的になったという。

城南宮などによると、絵図は江戸中期の1786年、改築工事などのために作られたとみられ、縦約1メートル、横約1.3メートル。
敷地は南北99メートル、東西64メートルで、間取りや配置はほぼそのままだった可能性が高い。

今年4月、城南宮の宮司が古書店で発見、購入した。絵図は4日から城南宮で、7月25日から同博物館で公開する。〔共同〕

配信 2017/6/3 21:38
日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG03H4T_03062017CC1000/