【歴史】 平家の落人が沖縄・宮古島に来ていた!? 子孫に伝わる日本刀と謎の古文書 博物館に託す [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
沖縄県宮古島市平良狩俣の伊良部由美子さん(58)が7月13日、宮古島市総合博物館(上地等館長)に日本刀と古文書、かんざしを寄託した。
伊良部さんは地域で「平家落人」の子孫と伝えられており、寄託品は平家ゆかりの品である可能性があるという。
祖先から代々、受け継いできたが、自宅での保管が難しいことから博物館に管理を依頼した。傷みが大きいことから同館は修復作業を進める方針で、
一般公開については未定としている。
◆かんざしには「七曜紋」
寄託された日本刀は長さ約75センチで全体的にさび付いており、いつの年代に作られたかは不明。古文書は湿気で固まり、今は開封できない状態にある。
だが、宮古島出身で東京で医者をしていた故奥平繁夫氏が1987年に記した著書で、往復書簡の案文か返書であるとの見解を示している。
かんざしには北斗七星を表した「七曜紋」がかたどられている。伊良部さんは「幼少の頃から、本土の研究者が自宅に来て品を見ていた。
歴史的に価値があるものではないか」と推測する。
◆男性の名に「平」が慣例
狩俣地域では、北海岸の「ナービダ(長い浜)」に平家の落人が漂着したと言い伝えられている。伊良部家は代々、男性の名前の最初に「平」を付けるのが慣例。
地域ではそのことから平家落人の子孫だと伝えられている。
伊良部さんは「父や兄が他界し、保管が難しくなってきた。興味がある方もたくさんいると思うのでぜひ博物館で展示してほしい」と期待。
上地館長は「貴重なものなので多くの人に見てもらえるようにしたい」と話した。
画像
http://www.okinawatimes.co.jp/mwimgs/4/f/-/img_4fb3ef3a261b3031556efa79443ad628146562.jpg
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/123036 チュルリラ チュルリラー
愛を見つめて 平家の 落人〜♪ ( ゚∀゚)
( ∩ミ ほーら、鬼包丁だよ
| ω |
し ⌒J うちのご先祖も平家の落武者ってばーちゃんが言ってたっけ…
熊本の山奥だけどw >>1
ほらな
沖縄は日本人と始祖を共にしてんだよ
台湾に渡って60年程度の台湾在住の人たちでさえ
もう自分らは中国人ではないと考える
【社会】台湾人の心、中国から離れる?「自分は中国人」激減
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1402093792/
中国に明確なルーツをもつ台湾人でさえ60年でこれなのに
数百年前に交流があっただけで今は別の国の沖縄の人が
「自分は中国人」て考えるわけねえだろバカ 安徳天皇も落ち延びられて、子孫とか居ないんだろうか? 何処まで逃げてんだよ
誰もそんなとこまでおってないだろ >>5
壇ノ浦から流れて来たんだろ。
筑後市のあたりにも平家の末裔の集落あるし別におかしな話ではない。 まあ義経がモンゴルに行くんだから平家が沖縄に行っても驚かない イギリスかどっかの博物館で、ページを開かなくても古文書の中身を読める機械を開発してたはず
あの機械を借りてくれば問題ないな >>1
沖縄タイムスも、たまには反日工作以外の記事を書くのか 2004年に琉球大学が発表した遺伝子調査の論文で、
鎌倉時代に移住した日本人があまり混血せずに
現在の沖縄の人たちになったと結論付けられている。
平家の落ち武者は本島では危ないので宮古、石垣へ。 >>19
へえ、本島に落ち着いて更に先島に追われた二段構えか
台湾にさえ落ちていった可能性もあったんだな >>19
今は平良市だけど、昔は平とモロに呼ばれてた。
島津支配で本土風の名前は変えさせられたけど。 平家落ちと言えば旧栗山村だよね
ひっそりとして良いところだし地元の人は山奥に住んでる割にあか抜けた感じがする そもそも伝説のアマミキヨからして本土人だろうけどな 平家の怯えっぷりが半端ない気がするけど何故なんだろ?
落人部落って平家は聞くけど、それ以外聞いたためしない
個人単位で落ちたって伝承はあるにせよ 長崎市内だけど近所の山に平家の落人の碑がある
開発進んで団地とか出来て来てるがソコだけ未開発 >>26
残念ながら遺伝子が全く違うよ、ご苦労なことだけど。 >>22
源氏に対してしてた仕打ちがかなりのもので
復讐されると思ったのでは? 原始縄文沖縄人⇒平家王国⇒シナ人⇒日本の薩摩⇒日本人
シナ人が沖縄を侵略したときに平家の王族の名前を取り込んだのではないか。
そして原始沖縄人はシナ人の奴隷にされていた。 >>10
対馬に落ち延びたって伝承がある。漫画アンゴルモア・元寇合戦記で出てくるが 平家は歳国の海上交易を独占して権力を握ったんだから漂着じゃなくて琉球に逃げたんだろう >>36
元々から琉球は支配下だよ。
交通の要所だったし。 青森にキリストが来たぐらいだから
沖縄に平家の落人がいても驚かないww 沖縄琉球王は清和源氏
http://ktymtskz.my.coocan.jp/ootuga/photo/p96b.jpg
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/022/923/45/N000/000/001/143858706720001483177_DSC01776.JPG
源為朝は1156年の保元の乱に敗れ、伊豆大島に流刑となっている。
伝承によると大島から脱出を試みたものの嵐に遭遇し、琉球の北部、
この今帰仁(なきじん)の運天港に漂着したと伝わっている。
運天港に上陸した為朝は、地元、勢理客のノロ(神女)との間に男子を授かり、
その子が後に今帰仁城を再興した大舜であると伝承されている。 沖縄尖閣は日本領土ってこと
中華人民共和国建国が1949年だから これ宮古出身者が昔から言ってるけど全国的な知名度なさすぎて話半分で聞いてる
もやっとするからはっきりして欲しいわ 平家の落ち人がここまで逃げた、逃げられた、というのは全く不思議ではない。
平清盛は神戸を起点に日宋貿易やっていた。 つばの部分も刀身と同じように錆びている。
昔の刀だと、銅とかじゃねえのかな。
陸軍の軍刀にしか見えない。 >>1
沖縄はイラン事してないで、こういう文化歴史に関わるものをどんどん解析しろよ うちは平家長が家祖ってことになってる。
真実は分からんが。 宮崎に平家の落人の集落あるし
さらに九州を南下して琉球方面に行ったとしても可能性は十分にあると思う >>48
日宋貿易が朝鮮経由じゃないと困る人がいるんだよねw うちも平氏だけど源平の争いの後に一旦伊豆に落ち着いたけど嫌がらせがひどくて鹿児島の島に移ったよ 落人伝説は日本中にあるが、物が残っているのは初めて聞いた >>37
相模原じゃ勝頼公まで落ち延びてきてるよw
まあ実際は小山田氏あたりの残党だろうけれど。 >>63
伊豆なんて源氏側についた平氏の北条氏の本拠地じゃないの >>59 熊本の南の方もやたら美人が多い集落があるよ 変わった名前の人がたまにいるわな 平家の落人が先祖ってのはは99%捏造
主に百姓の子孫がほざく >>14
頼朝が生きてるときは六代の身柄もそこそこ安定していた。
頼朝は義経や泰衡を殺したことを気にしたりと、することをしたあとには心優しいところを見せたりもするよ。 サッとレス追ったらやたら移動してんだな
戦いに敗れて逃げたにしてはアクティブだな
そんな体力あるなら戦えとも思う >>18
地方紙ってのは死亡広告読むためにあるんだ
記事なんてオマケ >>60
桓武天皇の母親は百済の武寧王の子孫だ。
外道丸は百済朝鮮人だ >>82
うっかり弄るとメンドクセーことになるから
その名前は出さんといてー >>76
源為朝って伊豆大島に流されたんじゃなかったっけ 普通に日本と繋がりあるのだが・・・・
と思ったのだが、平家ということで、ちょっと早過ぎるというわけか。
しかし
平家=海軍 源氏=陸軍 みたいな感じではなかったか。
あり得ないとまでは言えないかもしれない。
でも素直に信じるというつもりでもないけど。
現実は大昔から中国人朝鮮人南方系がチャンプルーしたのが沖縄人戦後30万人口に
台湾人フィリピン人奄美人その他との婚姻で140万人に増えた、本土人はパスポート審査必用
本土人が土着化することは無かった、アメリカは本土からの共産かを恐れた そこで為朝や俊寛の悪霊と三つ巴の争いを繰り広げる歴史ファンタジーを 沖縄で名前の最初に同じ字を付けるのは武士階級だけと聞いたことがある
中国姓を持ち同じ姓の一族でみんな同じ字を名前につけるとか
同じ名字があまりに多いので屋号を持っていたり、祖父・祖母から受け継ぐ沖縄風の名前を持っていたり
いろんな種類(5種類?)の名前を持っていると聞いた 琉球王国民のくせになにウチナーンチュの遺物を誇ってんねん 平造ってオチじゃないだろうな、貿易関係で平氏や源氏が土着してもおかしくないけどさ >>14
頼朝も相当むかつく奴だけど卑劣さや荒くれ度では北条氏の方が上だよw
だからこそ元寇を撃退できたんだろうけど 沖縄の大和名はルーツとは関係ない殆どが地名と改名、沖縄各地に沢山の大和名の地名が
多い、同じ門中だとルーツが同じだが名字は関係ない 再び平家の赤旗を掲げるために!
『海の藻屑』成就の為に!
壇ノ浦よ!私は還ってきたっっ! なんか昔からの本土と沖縄の関係をどうしても否定したい工作員が多いなおい
沖縄は平安時代の名残を感じさせる日本のパラレルワールド。 >>76
沖縄本島の本部半島の付け根、運天という場所から、為朝が上陸したという伝説がある。
運天は、「運を天に任せる」と為朝が言ったことから来てるらしい。
あと、やんばるには、源義経が船で逃げ延びた時に船を休めた、といわれる洞窟(岩場)もある。 マジなら琉球独立(失笑)になるな
ずっと日本人やんけ 伊良部さんは
幼少の頃から、本土の研究者が自宅に来て品を見ていた。
何してたんだこの研究者は(´・ω・`) 後世の捏造だらけの源平神話が好きだな
そもそも天皇家同士の殺し合いなんだけどね
清和天皇と桓武天皇の子孫たちの権力争いの殺し合いであることを理解すべき
平家の落人って聞くとざんばらっぽい感じを思い浮かべるだろうけど、
あのまま沖縄に行くわけじゃない >>5
"江戸の仇を長崎で、逃げも逃げたり肥後は人吉 (現在の熊本県人吉市)"
とも言うように、熊本の山岳部は中央から逃げ延びた人たちが居ついてたりするからな >>40
ゴルゴダではりつけになったのは実は弟らしいな
名前はイエキリって適当過ぎるだろw >>85
日本に渡って10代目らしいが、母系の先祖は日本人だし、でもまあ、そのように言って置くのが日韓友好だなw 陸の距離感覚だと宮古島って今でも遠く感じるけど、海路なら近いから十分あり得るだろうな
いや近いは言いすぎか
でも陸路が整備されてなかった時代はむしろ海路の方が開けてたから、今の感覚とは多少違う気もする 平清盛の弟は普通に鎌倉幕府に就職しており、
鎌倉幕府側は平家を一族根絶やしにしようとしたことはない。
(そもそもそこまでの支配力が鎌倉幕府にはない)
それなのに、あちこちへ逃げた落人の行動が謎 波の下に都があるっつうから
ガンガン泳いでいったら着いてしまったと
まぁそんなわけだ 落ち武者狩りってのが事実じゃないの
最後に名前まで奪うとか最低だな 源為朝が沖縄本島で源氏圏になってたから平家は本島を避けて宮古島に落ちたってはなしか? それっぽい物に偽書を添えると偽書までそれっぽくなる チョンどもが「平家は朝鮮人ニダ」って言い出しそうだな。 >>119
滅亡した楽浪郡からの亡命中国人と南扶余(満州族)と倭人の共同コミュニティ。
対岸が中国本土なので、交易に適していたために亡命者達が寄り集まった。 >>76
滝沢馬琴の椿説弓張月な。
馬琴の創作かと言うと、それより160年ほど前に
書かれた琉球国史の中山世鑑にも書かれているので、
割と広く知られていた話なんだろう。 宮古島だけでなく沖縄には落人が来てるだろうな九州は落武者狩りで居場所ないし、沖縄一帯まで逃げなきゃ生き残れない 日本刀は調べれば年代なんかすぐ分かるだろうに(´・ω・`) >>118
超ビビリだったんじゃね?
やべ、ぜってーやり返される!!って散り散りに モンゴル人が日本人に似てたり日本語が上手いのは
元寇の時に初期の頃に武士の大量虐殺をして、その婦女子達を大量に連れ去ってモンゴル帝国のクビライの元に連れて行ったからだろ? 平家物語にも流刑地として鹿児島の南にあると思われる鬼界ヶ島とか出てくるしね
別に不思議でもないね 神風
この神風と言うのは戦中に突然教科書に採用され、戦後は更に神風によって勝てたと武士達の奮闘を消し去った
武士達が外国からの侵攻に立ち向かいそれを防いだ歴史はアメリカの日本占領にとって良くない歴史なので消し去られた
神風など本当に戦中戦後のそれぞれの日本軍とアメリカ軍の国民洗脳の為の偽の嘘の情報
そもそも元寇の時は冬で台風はない
単に冬で海が荒れる時期でそれでモンゴル帝国軍がやられただけ
主に日本の武士団が強固に戦ったのが本当の勝因 モンゴルの子たちは本当に昔の日本の子供みたいでかわいいわ 四万十市に半家(はげ)っていうところがある
平の字を崩して半にしたらしい 蘇我氏の末裔が四国に来て長宗我部になったって話と似てるな 文書は江戸期のものに見える
刀は細身だね
かんざしは平安時代の女性が使ったものとは思えないけど、どうだろう >>1
刀の形状は明らかに初期の反り刀だから平安期のっぽいね
そもそも平安期の大和古語が方言のベースなんだから落武者云々は置いておいても南下ルートが確立されてたのも何ら不自然じゃない >>118
源氏はそのつもりはなくても、その辺の地侍が、恩賞めあてに刈ってたんじゃね 平家の落人が本当に沖縄まで逃げてきたのかどうかはわからないが、
現代の沖縄に赤旗が翻っているのは間違いない。 頼朝は自分を助けてくれた池善尼の子だから頼盛を助けたんだよ 北条氏は元は平姓だが源氏に味方してるからセーフ
他にも元は平姓でも源氏に味方していればセーフ
琉球へ落ち延びた平家はおそらく当初は島人たちに平氏とは名乗らなかった可能性が高い
さらに排他的な生活をしたのかもしれたい
それと言葉があまり通じなかった可能性がある
罪人を流した鬼界ヶ島で俊寛はなぜ島の先生になれなかったのか?言葉があまり通じなかったのではないかということだ >>69
当時の美人って、福よかなオカメ顔な訳だが 落人じゃないけど、東国は平氏系の子孫が沢山いるよ。特に、坂東八平氏の流れがね。
平家っていうのは、平正盛、忠盛、清盛の家系(伊勢平氏)のこと。これも元は東国にいたんだけど。
源平合戦の「平家の落人」とかこの系統の人々のことだよ。
------------------------------------------------------------------------------------
てか、平家、平家うるさい・・・
美濃源氏、信濃源氏、甲斐源氏、常陸源氏、その他・・・
東側は「源氏」もいっぱーい! 関係ないけど、平家打倒の時の「以仁王の挙兵」で立ち上がった源頼政(源三位頼政)の”一族”の子孫も、
東というか北の方にに住んでるらしいね? 各系統の有名人(適当に羅列w)
【清和源氏】
・摂津源氏(源頼光、多田行綱、源頼政、土岐氏、など)
・大和源氏(?)
・河内源氏(源義家、源頼朝、源義経、足利尊氏、武田信玄、など) >>12
平良とか多比良とか田井等とか、沖縄には「たいら」姓が多いよ。
薩摩が本土と違う当て字を使わせたりしたから見慣れない漢字になっているけど。
だから平家かは知らない。 奄美大島の島々の名前がそうだもんな
平家の落ち武者が関係した名前が多い そういえば沖縄って平という苗字の人がいるけど
先祖は落人なのか >>92
具志堅用高のところは用の字を使うそうだよ >>118
>そもそもそこまでの支配力が鎌倉幕府にはない
つうか鎌倉の政権樹立後も戦後処理とか内部の不満を
抑えるのが大変だったそうだからな、落人を追いかける
余裕なんてなかったろうに 極悪工藤会系の極悪津川組の親分は運よく首を取られずに刑務所で隠居生活 平家の落人と聞いて平将門の乱で逃げた滝夜叉姫を連想する。
姫に召喚された曾我蕭白の相馬の古内裏の超巨大骸骨が、平景清と
タッグを組んで壇ノ浦を泳いで、源義経軍から、安徳天皇を
お救いする。
ってメチャクチャなストーリーをクソマッハで思いついた。 沖縄本島の離党は昔から島流しの場所
今でも差別の風習は残ってる 嘘か本とかはどうでもよくて 一衣帯水 ウィズLOVEってこと 当時本土から宮古島に来るなんて賭けみたいなものだろ
来るって言うか流れ着いた先が宮古島って考えるほうが正解か ヨーロッパにまで流れてワットタイラーの乱を起こしたらしいよ >>159
沖縄に、源為朝の子孫ているんだろうか?
沖縄じゃないけど、こういうのもいるらしい。
↓
>源為朝の遺児といわれる閉伊為頼(大嶋為家・閉伊頼基・佐々木十郎行光とも)が源頼朝より陸奥国閉伊郡・気仙郡を賜り、
>「閉伊氏」を称したとある。 暴君のtyrantはヨーロッパに流れて着た平氏が荒くれだったから
生まれた言葉らしいよ。 落人っても家来筋なんだろ
主人が養う力がなくなって土着しないとだめだけど
慣れ親しんだ場所じゃ無理だから移動してるだけで ネット掲示板では極悪工藤会の協力者が寝る間も惜しんで諜報活動をしている 1994年に源氏と平家は和睦している。
これまめ。 正月に国立博物館いったら平将門直筆の巻物があった。
ああいうものに付着しているDNAから本人を復活させたらどうなるの?? >>174
曜変天目はさらにめんどくさい事態になったそうだよ だいたい平家の落人って誰なんだよって話だわ
壇ノ浦で滅亡したんだろ >>159
為朝公の記念碑に行ったけど
雑草だらけで周りに誰もいなく、目印になる建物もなく、
土木作業の交通整備の地元のオッサンに道を聞いてやっとたどり着いたくらい
寂れてたわ。
しかも地元でもあまり知られていないとか言ってた。 宇喜田家が八丈島に流されたぐらい
だから、琉球に逃げた平家もいるかもしれんね >>180
九州にも逃げ延びてるし、その先の琉球など小島にも逃げ延びていると考えるのが普通。 >>62
先祖が湯西川村出身のオレがきましたよ
うちにはたしかに清盛直系なんたらかんたら・・・の平家伝説があります
信じている人は、親戚にはいませんがいまでも代々語り継がれています >>169
どこでそんな頭悪い話を仕入れたんだよ?
英語のタイラント(Tyrant)の語源はギリシャのティラノス tyrannos、ラテン語のティラヌス(Tyrannus) で
元の発音が「タイラ」ントなどではなかったんだぞ? >>92
名字が3文字は武士階級だと聞いたことがあるけど 徳川家康公も 源家康だけど 源とか平は血筋を表してるから名字とはまた別だろ
徳川家康が通名みたいなもんよ
ホントに平の血筋なら名乗るわけない
平以外の通名があるはず 武田信玄公の武田姓みたいなね
無いって事は明治以降に平姓にした平家物語の好きなただの一般人やで
合理的な日本人は昔からやってるけど
中国や朝鮮はやらなかったから同じ金や李な同姓同名が多くて 日本政府が日本風な通名名乗らせようとしたんやで(紛らわしくて戸籍の管理できないから)
中国や朝鮮は血筋が同じだから同姓婚しないし 夫婦別姓なんや 宮古は「都」
いつの日か京へ帰りたい平氏一門の願いが込められてる
また、この地で作られる酒をこよなく愛した歴代当主の一人に因んで
「泡盛」と呼ぶようになった おれは「河原で拾ってきた」ってかーちゃんにずっと言われて育った
たしかにおれだけタイ人ぽいって良く言われる >>181
寂れて当たり前、明治時代に日本軍が建てた為友記念碑、江戸末期に薩摩が押し付けた
琉球歴史書と同じ、数百年前の歴史を後付け。それをほっとくのも沖縄気質 >>166
源平の戦いの当時、日本本土と沖縄のあいだには、ふつうに商業交易ルートが確立していたから
無謀な冒険じゃない。沖縄との交易は遅くとも飛鳥時代から始まってる。(日本書紀)
タンスなどの装飾工芸の「螺鈿(らでん)細工」の材料はヤコウガイで、良質なものは
奄美以南の沖縄の島々でしか採取できないので輸入ルートが確立していた。
また、沖縄の人たちは日本だけでなく朝鮮、中国、東南アジアとも古代から交易してたので、
うるま市の勝連城跡からは3〜4世紀のローマ帝国の銅銭が出土して話題になったりした。 九曜紋が安倍晴明の分家
恐らく、七曜紋が分家だろ
名に平は無関係、「ピョン」が正しい名と考えられる 日本初の武家政権は六波羅の平清盛の時代の25年だと思う。
「驕れる者久しからず ただ春の夜の夢の如し」 三国志の呉が滅亡した時、日本まで大量に亡命してきた。
逃げすぎってワケでもない。 琉球と日本の交易は有ったがそれ頬じゃない、琉球起点中国福州東南アジアが最大で朝鮮の順
人的交流も盛んだった、朝鮮の次に日本の順で人的交流は殆どなしそれは琉球各地の
城跡からの発掘物でわかる、ローマコインは東南アジア{特にマラッカはアラブ人インド人との
交易の場だった ]から持ち帰ったもの、日本書紀や本土解釈しても沖縄での発掘物が乏しい >>198 琉球語こそが、その日本との交流の深さの証明ではないかな。
それ以前を問うというのなら、それは別問題となるかもしれないが。 こんなサビサビの日本刀と
ページがめくれない保存状態最悪の古文書で平家の子孫とか笑わせる。
どっかで拾ってきたんだろw というかどの系統の血筋かもわからん平家の子孫とやらなら幾らでもいるだろw 落ちのびてきたのか、交易で品物だけが流れてきたのか。
伝承やDNAなどでどうなのか推測するしかないねえ。 >>1
琉球王家ってそもそも源氏の流れだと自称してただろ。 >>198
古墳時代までは沖縄周辺でしか取れない貝殻で作った装飾品を本土の日本人は身に着けていたのだよ >>187
へー?佐村河内とか伊集院とか綾小路とかぁ NHKで日本の名字特集やってたが比嘉は日が昇るから比嘉になったと説明
比嘉の読みは本来ひがじゃないヒージャーが正しい、日本語読みに変えて日本語解釈で
全く違う物に、先島諸島は殆どがアイランド名が変更された本島も同じ、愛知、松島、若狭
高志保、松山他山ほど、発音も全て日本語発音に那覇はナファ、首里はスイ、山ほど
国頭は妥協でクニガミ本来はクンジャン >>207
船を操るのはどこか味方にするかカネで雇えば良いだろ?
【壇ノ浦の戦い】
源氏方には渡辺水軍、河野水軍、熊野水軍など840艘
平家方には松浦党、山鹿秀遠、平氏水軍など500艘 >>207
伊豆大島に島流しにされた源為朝(頼朝の次兄)が船で大島を抜け出して伊豆半島を荒らして回った史実から
きっと琉球に渡って尚王家を作ったに違いないと言う伝説が出来た。 世界三大差別の一つが沖縄本島民による宮古島差別
宮古島民謡は琉球音階ではなく本土と同じ呂旋法
沖縄県にあって独自の存在なんだよこの島は >>118
平家の下っ端は調子に乗った源氏方の地侍に土地をヒャッハーされてたんじゃないかな?逃げたと言うより、居場所が無くなって仕方なく未開の山奥や一か八かで船で漕ぎ出した…とか。 宮古島行ってみたいなぁ〜。
青い空とエメラルドグリーンの海・・・
のんび〜りと 現在の南西諸島の住民は、10世紀前後、あるいは、それ以後に本土から南下してきた人々との混血との説が有力です
平家落人伝説も、あながちインチキとは言い切れないのでは 琉球王朝の始祖が源為朝だったり、平家の落人が住み着いてたり、色々ワンダーな地域だな。 >>199
琉球語と日本語は朝鮮中国北部と共に遥か昔の北アジアにルーツを持つが別言語
琉球は時代と共に大陸各地南方アジア系が小さな島の北方系と継続的に混血
現在の沖縄人は北方要素より南方系要素が遥かに強い、中世以前の琉球は数万人以下の人口
沖縄各地の世界遺産の壮麗な城壁はすでに多くの大陸系が琉球化した証 >>64
徳島の祖谷地方には平家の赤旗やら宝剣やらが今も伝わってるよ。
赤旗に関しては、江戸時代阿波を治めた蜂須賀氏によって、
軍旗を持っているのは反乱の意志があるということで一旦没収されたが
後に表装して返却されたという逸話も残っている。
http://kinyama.c.ooco.jp/newpage247-iya-tanbou-1.htm 街歩いてるとたまに落武者みたいな髪型の人いるけどあれも平家の落人なのか >>216
宮古島に限らず遥か昔は本島にも琉球音階は存在しなかった、中世以前にジャワ系の
音階〔琉球音階}が伝わった沖縄民謡にも琉球音階じゃないのやミックスや様々ある
八重山は本島から役人や島流し、役人の農民としての移住が多かったため多彩な民謡が
多い、 平良も宮古も新しくつけた、宮古市にしたかったが岩手の宮古の方が古いから宮古島市になった 落武者狩りは本当にキツいからな
ボンタン狩りやエアマックスの比じゃない >>159
源為朝が琉球王になったという説はないよ
源為朝が琉球に流れ着きその血を引く「舜天」が後に琉球王になった伝説があるだけ 北九州市の極悪殺人テロ暴力団工藤会なんてやめて、奴隷状態から解放された方が幸せそう 宮古島は政治犯、石垣島は凶悪犯が流されていたんだろ?
沖縄本島の年寄りは、今でも子や孫が石垣の人間と付き合うのを嫌がるな >>218
そんなん速攻処刑されるわ
鎌倉幕府は身内ほど言いがかりつけて殺しまくっとったんやで 平家の落人全国津々浦々に飛び散り過ぎ
弘法大師全国津々浦々で奇跡起こし過ぎ
怪我をした鹿温泉発見し過ぎ 平家は源氏と戦って潰れたが
北九州市の極悪殺人テロ暴力団工藤会は、か弱い一般人としか戦わないから潰れない 愛媛とかも山奥に平家が開拓したのとかあるし
平家の5人の姫様が隠れて住んでいたが
最後姉が源氏かにじゃないと妹殺し最後自殺したとか 壇之浦で極悪殺人テロ暴力団工藤会が山口県の暴力団に潰されると嬉しい Wikiの平家の落人記事より鹿児島・沖縄県該当箇所抜粋
鹿児島県指宿市 鹿児島民具学会発行『鹿児島民具』14号に、市内山川利永尾下について、「落人の里の民俗」として言及あり。
鹿児島県鹿児島郡三島村 平清盛の孫行盛の遺児が、北条時政の養子となり時信と名乗って種子島に入ったとされる。
鹿児島県 種子島 西之表市中種子町南種子町 種子島氏と一緒に移ってきた家来衆(遠藤、平山、鎌田姓)も平氏と言われる。特に中種子町には平家由来の
平(たいら)姓の者も多い。平経正、平業盛らのほか、30あまりの史跡があるとされる。
鹿児島県大島郡(奄美群島) 平家一門の平資盛が、壇ノ浦の戦いから落ち延びて約3年間喜界島に潜伏。弟の平有盛、いとこの平行盛と
合流して、ともに奄美大島に来訪したという。2005年に平家来島800年記念祭が行われた。柳田國男は「モリ」と
いうのは郷土の神の名であり、後世になってこの伝説は作られたのではないかと考えているが異論も多い。
喜界町志戸桶(喜界島)、 奄美群島に到着した平家が最初に築いたといわれる七城跡がある。
喜界町早町 源氏警戒のため築いた城跡がある、平家森と呼ばれている。
奄美市名瀬浦上(奄美大島) 有盛を祀った平有盛神社がある、有盛が築いた浦上城跡と言われている。
瀬戸内町諸鈍(加計呂麻島) 資盛を祀った大屯(おおちょん)神社がある。
龍郷町戸口(奄美大島) 行盛が築いた戸口城跡がある。現地には行盛を祀った平行盛神社もあるが、城跡とは離れている。
龍郷町今井崎(奄美大島) 行盛により今井権田大夫が源氏警戒のため配された。今井権現が建っている。
奄美市笠利町蒲生崎(奄美大島) 有盛により蒲生佐衛門が源氏警戒のため配された。
鹿児島県垂水市牛根麓 硫黄島から移って来た安徳天皇が13歳で崩御し、居世神社に祀られているという。
運天港(沖縄県国頭郡今帰仁村) 『おもろさうし』の「雨降るなかに大和の兵団が運天港に上陸した」とある記述は「平維盛が30艘ばかり率いて南海
に向かった」という記録を基に平維盛一行のことだとされることがあり、いわゆる「南走平家」の祖として沖縄史では
盛んに議論が行われている。
沖縄県宮古島狩俣 落武者の物という古刀など遺品が伝わる。また平良という地名は平家の姓に由来するものという。
沖縄県竹富島 赤山王は平家の落人で、竹富島に流れ着いたとの言い伝えがある。なごみの塔は居城跡とされる。
沖縄県西表島 16世紀初頭の豪族慶来慶田城用緒は、平家の末裔であると称していたことが知られる。
平家の落人多すぎw 八切止夫は、平氏は壇之浦で東南アジア方面に逃げる準備をしてるところ、義経軍にやられたのでは?と書いていたが、本当かも。 つか平家とか海賊も吸収してるから、その一派に組みしていたと言うだけの末端の賊もいるだろうし後の倭寇なんてのはタイやマレーシア付近まで攻めてたからな あ 俺も平家の落ち武者の子孫だって聞いた
どうせ嘘だって知ってるが 桓武平氏の流れをくむ千葉氏は七曜紋だったらしい
でも源平合戦では源氏側だったから違うか >>247
まあこれに近いもんだろうな。平家と言えば宋貿易だ。今の神戸がその拠点なら沖縄は経由することもあるだろう。そのうち沖縄に住み着いた平家がいたとしてもなんら不思議はないんじゃないのかな? たいして意外でもないけど。
中世の武装勢力が九州から南下して王朝を打ち立てたってのが定説だろ。 ちょっとDNA調べて、はい平家子孫の確定〜!という訳にはいかないの? 「馬に乗ッつれば落つる道を知らず」の東国武士は悪所に馬を入れて戦った。
合戦の時は四季を問わず夜昼の区別もない。一年中行われるべきもので日頃からその備えを怠らなかった。
それは戦闘をもっぱらにする高度に訓練された戦士の生活に他ならない。
西国(上方)武士の合戦は季節の訪れとともに行われるもので、一種の年中行事のようなものであった。
用意した合戦は全て4〜5月頃に集中している。
(五味文彦)
要するに貴族社会のマンネリ儀式の延長線上にあったのが上方武士のオママゴト戦争。
そりゃ勝てるわけないって。 千葉氏は月星紋とか七陽紋とか天体を表した家紋なんだよね
なんでだろ 地元で名字に星がつく人は、平家の落人の子孫って人が多いな
ちょい南部はこいのぼりあげちゃいけない風趣あったり 南九州から薩南諸島 奄美から琉球諸島まで
DNAでは差は無い。 >>234
そうなん
うちのジジババだと徳之島マジこわだったけど
米国統治であまりの過激派すぎてすぐに返還したくらい 沖縄は小さい島なのに長らく北山、中山、南山と3つに分かれて争ってきたから。
多くの武士が流れて来たのは想像がつく。 琉球が異国の装いになったのは実は薩摩侵攻の後。
それまでは大和と差は無かったというのも定説。 >>266
あれって外国っぽい感じにしていただけだよなあ >>266
徳川が沖縄を直轄地にしようとしてたんだよね。
そこで先に友好関係だった琉球に侵攻、日本人だと都合が悪いので、外国を支配している事にした。 石垣出身の具志堅用高は高校時代差別されたってテレビで告白してたな 平家の人も悲惨だなぁ。
本州だけでなく四国や九州からも追われて日本の本体から逃げるしかなかったなんて。
そこまで執拗に追われるもんなの。昔の人は怖いね。 >>5
自分も先祖が平家って云われたぞ
たくさんいるのかな? 平家の時代に宮古島に行くこと自体、
かなり難しい時代でしょ
余程の資金と立派な船とベテラン船員が居ないと、
遭難する可能性が高いわな 現在いわゆる沖縄琉球文化というのはつまりはコスプレでしかない。
まさにコスプレと呼ぶにふさわしい経緯。
本来の琉球は神道世界。日本の源流ともいえる。 >>234
只の旅行者の印象だけど、石垣島の人は南国的な明るくだらしないお調子者、宮古島の人は閉鎖的で逞しい村人気質という印象だった
同じ沖縄の離島でも全然違ってびびった 刀の形がずいぶん新しいな
江戸時代の物じゃないのこれ >>273
北条氏だって平氏だし織田信長も平氏。平家が天下を取って平家一門に加わったけど
源平合戦では日和見を決め込んだ連中が多数。 >>276
沖縄本島までなら島と島の間隔が狭いからけっこう余裕
本島から宮古は難しいだろうな 高知の村に、平家の滝
という哀しい言い伝えが残る場所がある 平家の落人というと平家の血筋の人とその家臣だと思うけど何人くらいいたのかねえ 千葉氏の一族なら九州中に点在してるからそっちじゃないの
平氏の流れを組んでいたとしても必ずしも落人とは限らない 平家(伊勢平氏)と坂東八平氏の違いがわからないのもいるんだな・・・
源平合戦で源氏と戦ったのは平家だぞ? 檀家の浦へ逃れたのは、平家の母国、朝鮮へ逃亡するため
潮待ちしていたら源氏に滅ぼされた >>276
一応記紀の時代から江南ルートで使ってたから行けなくはないんじゃない?
鑑真やらも日本来る時に停まってたし 平清盛は源頼朝の命を助けた。
しかし源頼朝は、平氏の最後の生き残りの女を捕らえ
その腹を裂いて赤子を殺し、平氏を根絶やしにした。 平安末期に九州から南西諸島へかなりの数の人間の移動があったんだよ。彼らが平を名乗ったのだろう。 >>300
その後の琉球王国の形成と関係あるのかなあ 沖縄って平(たいら)って苗字の奴多いなぁって思ってたけどw 源氏=百済系 平家=春秋戦国時代の移民
源氏が韓半島に始祖を持つ氏属で、征夷大将軍は源氏。
ということは… これ貴重な者で間違いないってことは判明してるんだよね? >>305
韓半島ねぇ…。新羅三郎で妄想膨らませちゃったニダー君かな? そういえば 沖縄のバーサン女優に
平良なんたらって人が居たな、その人も平家の末裔なのか パヨク屋って、こう言う問題になるとスレに出現しないのな。
言葉尻取って大声で喚く馬鹿チョン思考のキチガイ共。
西郷ドンも台湾に渡って子孫残した支那。 >>36
知識としてはあったはずだなw
関東の山猿もそこまで追ってこないと思うのもうなずけるなw >>109
種(男系)はそうだけど
実質的には畑である女系=地方豪族同士の争い
実力は女系で決まるのが本質w 普通に中国や朝鮮半島と
貿易してたから沖縄へ行っても不思議では無い 何があったにせよ、平家の最期は悲惨だ。
救いは能登守のラストシーンぐらい。 敵の敵は味方
宮古島からしたら琉球王国が敵だから、琉球王国の敵のヤマトの有力者を捏造してゆかりがあるように見せて崇めてもおかしく無い 沖縄で「たいら」といえば「平良」姓が圧倒的だけど中には「平」姓も結構いる
もしかしたら平家の子孫かもね >>317
源氏は徹底してスペアを用意してたから、頼朝の系統は三代で絶えたが、
鎌倉幕府を倒した新田と足利も源氏だし、足利幕府を支えた斯波氏、畠山氏、細川氏もそれぞれ源氏
・・・ただし同族争いも絶えず幕府衰退の原因にもなった。 平家の落人部落って、その場所に相応しくないミヤコ言葉を使っていたり、大きな草鞋を吊していたりちょっと風変わりな風習があるって云うな
そのあたりどうなん? そりゃあ、聖徳太子どころか卑弥呼の時代にはアジア各国との貿易痕跡があったからなあ。
途中で沖縄の島くらい寄港してたのもあっただろ。(´・ω・`) >>318
藤原氏でも子孫は「藤原」なんて苗字を名乗らないでしょ(´・ω・`)?
平氏の子孫も「平」なんて名乗らんと思うよ >>322
奄美大島に大和村という町があるけど、
そこは大和朝廷の寄港地だったからその名前が付いたという説を聞いたことがある
遣唐使の時代(´・ω・`) >>321
徳島の祖谷とか、岡山の水島とか、香川の高松では、文献に残っている当時の京言葉が今でも日常会話の単語として使われてるらしい。
沖縄まで行くと、どうなんだろう。興味深いね。 >>323
こういう離島はわからないけど、西日本は徹底的に捜索されてたのに、
貴族や武士とその家族が疑われるような真似はしないだろうね
持ち物から何から捨てただろうね
平家と言っても、武士でない 身分の低い人たちもいたわけで
可能性があるとしたら、そういう人が落ちのびた可能性が高いね >>234
宮古は粗暴犯、石垣は政治犯って聞いたよ
逆だと思う
沖縄県立博物館美術館は
聞得大君の簪も薩摩に降伏したあと忠誠を誓わされた熊野誓紙の文書も複製展示
現物があっても展示できないような保存状態なんだろうな
古文書の解読は無理そう >>329
琉球の正史にも書かれてある話だが
一種の建国神話のようなもので王の権威付けのために創作されたエピソードと考えるべき 琉球にも倭寇のおかげで日本刀が流通してたりするからな だから九州くらいからタイ資本じゃないかみたいなことになってんじゃないか
最近台風タイから来てないのは南から来てるだろ
あれも政か見せしめな感じがするね そうそう日本は極東て云われるくらいでブラックホールなんだよね
出ていくとなると虚数空間だから 実は来たやつが戻ってやり取りしてるという見方だよね
ヤクザ営業てやつ そうみると政治のごたごたも結論付くものもでるんじゃないかな
だってだいたいアメリカなんてそうじゃんブレーキングバッドなんか
も全部白人の仕業にするけどメキシコから南米へかけた密売ルートの話だし 分かるかな、ジェシーハイゼンバーグていうペンネームから分かるように
インド資本でやってる、なんでも白人にするていうボリウッドと対極のエンタメてやつだな 鎌倉幕府は、実は平氏政権
源氏三代が滅んだ後は北条執権政治
源氏関係者が逃亡した話すらある
平家の落人部落が実は源氏だったなんて笑えない話が多数あるんだけど >>34
一応安徳天皇の墓と称する遺跡はあるけどな こういうことが分かる頃には大戦になるんだろうな多分
いや分からないままなのかもしれないが
結局市民が割り食うて話だな 宮古島は現代日本に友好的
かなり極論だが、平家=反源氏=反徳川幕府=薩長土肥=親安倍 まあ義経がジンギスカンになったってよりは信憑性あるわな 別に不思議なことでもないがな。古代から日本の一部なんだし。 >>340
河内源氏は三代までだったが藤原北家という大きなくくりでは一応五代まで、六代〜九代は皇族
勿論、四代目からは名ばかりだったけど >>340
その平家の落人部落が源氏だった例が多数あるというが具体的にどこのこと言ってるの?
多数というからには具体例なんていくつも出せるよね? 古文書固まってるね。少しでも解読してNHKスペシャルでやって欲しい。NHKで。 >>340
室町幕府を興した足利家は鎌倉幕府の北条執権時代も得宗家に準じる重鎮
御門葉の地位に有って、幕府の重鎮として一族を日本各地に配して力を蓄えてた。
北条家の力が落ちてきて一緒にやってる意味がなくなったので、
倒幕に参加した(一応、天皇を支持したという名目)
血筋では足利に劣らないのに冷遇されてきた新田氏とは全然違うのよね。
鎌倉幕府の有力者が鎌倉幕府をつぶして、その後、何だかんだで、
一番の功労者新田を差し置いて結局自分が幕府を開くことになった。
やっぱり源氏同士でもめてるんだよね。 >>10
徳島の祖谷地方に落ち延びた説もある
剣山は元々太郎山と呼ばれてたが、草薙の剣が奉納されて名前が変わったとか >>25
いじめ加害者が後ろ盾にしていた権力全部失っていじめ被害者から復讐されるんじゃないかとビビッて逃げてる状態 実際源氏は清盛系は皆殺しにしたからな
出家したのまで後になって殺して血筋を皆殺しにした
源氏=頼朝の残虐さは異常 >>359
頼朝は同じ源氏の一族・兄弟も排除してるからな、
源平かかわりなく、将来自分や自分の一族を脅かす存在は徹底的に排除しようとした。
所が、息子たちが内輪もめで結局断絶してしまったんだけどな、皮肉な話だわ。 同時に沖縄県人は、源為朝の子孫説がも強く、沖縄では運動会は源平のイメージカラーの
赤白に別れて戦うことになっているよ。 平清盛は落武者狩りを逃れて沖縄–台湾経由で中国に渡りチンギスハーンになった 頼朝系の源氏3代で絶滅してる
ただ平氏も源氏も沢山居るから
ただたんに清盛系と頼朝系が滅びただけ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています