【身分】先祖は武士か庶民か?名前で判断できる「戸籍読取」 「住んでいた地」と「名前」からわかる先祖の身分★2
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[図表3]明治5年の身分
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[図表4]明治5年の職業
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※省略
■「住んでいた地」と「名前」からわかる先祖の身分
◆名前から武士かどうかわかる⁉
先祖が武士かどうかの見極めに大事なことは、二つ。「住んでいた地」と「名前」です。
先祖が住んだ地は、武士がいた城下町だったのか? 武士と庶民が半々で住んでいたのか? 農村か? 漁村か? その地の藩は? を調べます。
次に、名前です。江戸時代には、武士の名前、神主の名前、お坊さんの名前などがおおよそ分かれていました。現代では時代錯誤も甚だしい話ですが、当時は庶民が武士っぽい名前を付けることができませんでした。
経験から来る感覚で判断する部分もあるので、やや難しいですが、例えば、必殺仕事人の中村主水。主に水と書いて「もんど」と読ませるような名前。これは武士としか思えません。また、北島三郎の木こりの与作のような「よさく」という名前。これはちょっと武士っぽくありません。
ただし名前だけで、必ずしもわかるわけではありません。もう一段階深く話すと、武士は実名(じつめい)と通称(つうしょう)という二つの名前を持っていました。実名は、諱(いみな)ともいい、殿様の前などフォーマルな場で使う名前。通称は、普段使う名前。実名はいかにも武士っぽい雰囲気の2文字の名前。通称は、庶民とさほど変わらない名前です。例を出します。
・織田信長(おだ のぶなが)の通称は三郎(さぶろう)、実名は信長
・坂本龍馬(さかもと りょうま)の通称は龍馬、実名は直柔(なおなり)
明治に入って戸籍ができたとき、武士は通称と実名のどちらかを選んで登録しました。実名登録なら武士とわかりやすいですが、通称登録だと、名前だけでは確定しにくくなります。
◆先祖が武士であった場合の調査方法
江戸時代(1603〜1867)は、全国に300以上あった藩では、藩士の名簿を作っていました。それを「分限帳(ぶん(ぶ)げんちょう)」といいます。「武鑑(ぶかん)」「士族明細帳」「禄高帳(ろくだかちょう)」などもありますが、内容はほぼ同じで、藩士の氏名・役職・禄高(年俸)などが記載されています。なかには、居住地や作製時期の藩士の年齢・家紋などが記されているものもありました。現在の住宅地図のような、城下町の屋敷地図が残されていることもあります。
このような史料の多くは、地元の図書館や公文書館・博物館などに現在でも保管されていることが多く、丹念(たんねん)に調べることによって、その家の先祖がどのような身分の武士であったかが、より具体的に判明すると思われます。
また、武士である先祖は、仕えていた藩に、家系図や親類書(武士が、家族・親類の氏名や仕官先、本人との続柄などを書いた文書)を提出している可能性があります。それらの多くは、筆字で書かれた古文書ではありますが、先祖が書いた家系図類を発見し、活字化することによって、江戸時代初期か、あるいはそれ以前の先祖のことまでが詳細にわかる可能性があります。
いずれにしても、先祖がかつて仕えていた藩の史料は、当家の家系を調べるうえで、貴重な情報源となります。
●明治5年の人口統計(身分別・職業別)
江戸時代は正確な人口統計が調査されていませんが、明治維新直後の1872(明治5)年の身分別人口によれば、農民・職人・商人・町人などの平民(庶民)が約3083万人、旧幕臣や藩士などの士族(武士、卒族といわれた足軽などの下級武士を含む)が約194万人、皇族・神主・僧侶が2666人いました(※諸説あり)。
これを比率にすると、平民が93%で、士族(武士)が約6%、その他の皇族・神主・僧侶が約1%です。また、1873(明治6)年の職業別統計では、人口のおよそ79%が農業、6.6%が商業、3.5%が職人とあり、その他は雑業と分類されました。(続きはソース)
6/2(日) 10:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190602-00020763-gonline-bus_all
★1:2019/06/02(日) 19:39:12.40
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1559471952/ >>90
墓に書いてある文字は、子孫が勝手に書く文字を決められるからあまり信用できないw
やっぱ戸籍でしょw 俺知り合いに東久邇さんがいる。聞いたら本物の東久邇宮家の一族だったw
皇籍離脱してるし傍流だから何も特別なこと無いですよって言ってたけど、正真正銘の上級国民だよなぁ。一般企業に勤めてる。本当に普通の企業。んでもって渾名がまろw >>88
ヤフーニュースで取り上げるなんて意外だな
問題化しないのだろうか 〜部っていう苗字の人は、祖先が大陸から来た渡来人らしいね >>80
天皇の子孫は結構多いよ。
臣籍降下後も多産な事多いし。
うちは違うけど。 >>91
自分の血が、ってよりも歴史好きが高じて、というのが動機としては大きいかな。
寺社仏閣大好きよ。GWも行ってきた。 我が家は、幕末騒乱が起きる前に庄屋から分家したらしい。
以来、引っ越すことなく現在に至る。
古い家だから無駄に敷地が広いから庭の草むしりが大変だぞ。年に1回は庭師さんに手入れを頼むけど、馬鹿にならん手間賃がかかる。 >>89
都会育ちの武士は、なかなか農業なんて重労働はできないよ 父方 母方ともに小作の極貧百姓
よくまぁ、今まで子孫残せたなぁ〜って思う。 雑談のネタにはなりそうだが、
二度、三度と繰り返されたら、”で?”って言ってしまいそうなネタだな 曽祖父が既に江戸時代生まれで戸籍に生まれた場所が載ってるから、武家だと分かってる。
生まれが、何とか町何とか番屋敷って書いてあるw 城の中堀と外堀の間。祖父兄弟の生まれ
を調べると屋敷も土地も幾つか持ってたのが分かる。 >>80
1時間で作れる偽系図だろ。清和天皇って一番系図で多いんだよな。
でも清和天皇っていつ臣籍降下したか知ってる? >>112
現在の権力者に繋がるなら、話は別でしょうけどね。 家系図なら寛永からあるわ。
祖父で十六代、俺で十八代だけど菩提寺とかで調べて、墓も辿った祖父と叔父の手記が残ってる。
それ以上は墓ももう文字も読めなくてどうにもならないようだった。
武家では無かったな。 >>97
そうそう、ちなうちは桓武平氏だって
代々農業を主な生業とした田舎侍ですわ >>72
先祖は苦労したみたいやけど、自分にはもう関係の無いこと
うちはもう糞みたいな山しかない。こんなの要らない
去年は水害も酷かったし(泣)
ワイもう住んで無いし町に寄付でもしようかと本気で思う
先祖がお世話になった地元に、最期に何か還元出来るようにしたいとは思うけど >>88
サムライジャパンとか言ってるから
現実見る手立ては有用じゃないかな >>71
本籍はどこでもできるのよ? 皇居でもOK >>53
じゃあ、うちんとこ藤原姓だから昔々に皇族の血は入っているはず
じゃじゃーーん >>111
ウジ虫が繁殖力がすごいのと同じだろ
天皇って子孫が少ないよ
長男以外を坊主にして坊主は妻帯負荷だったから子孫がいない ウチは名字帯刀を許されてたから!
とか言い出すのが湧いてきて
そこから差別ガーループになると予想。 >>91
>自分自身に誇れる者がない奴ほど家系とか先祖にこだわるよね
それは言える!
あと、親戚自慢も。 ワイの家は近江衆
領地ガッツリ貰えるくらいまで頑張ったのに
西側に加わったばっかりに領地はぼっしゅーと三成のバカ(´;ω;`) >>120
税負担も大変でしょうね。頑張ってください。 >>80 日本人はね、源氏か藤原氏とかに大別できるのよ >>124
成人まで生き残れる確率が低かったから子供増やしてたんかの? どんどん遡ってきゃ誰だって武士の先祖一人くらい居るだろ
本家を継ぎ続けてなきゃ意味ないじゃん >>124
>天皇って子孫が少ないよ
いつの話?
臣籍降下しないといけないほど困ってたのにw
仁明源氏・文徳源氏・清和源氏みんな
臣籍降下した元皇族な 竜馬の妻おりょうさんが住んでいた横須賀の歌
「横須賀ストーリー」
この歌詞はまるでおりょうさんの気持ちを読んだような歌ですがたまたまでしょうか
作詞 竜○の妻、作曲 竜○ 先祖は秀吉の家臣で成り上がり
備後国の一藩主だが
末っ子だから出されて松平家で働かせてもらった下級武士
明治後期に生糸で儲けて金貸し地主となり
その息子は働かず土地を売って生活
その孫はフリーターに近い仕事なくせに金持ちのフリばかりして金を使いまくり
現在は借金と売れない土地ばかり多く残り高い税金に苦しむ生活 うちは武士の家系だと言われているし、今や半減以下らしいが土地もソコソコあったらしい。
よく昔は他人の土地を踏まずに汽車に乗れたと言うか駅自体の敷地が当家のものだったらしい。
で、それが何なのだろうと思う。結局。自分が凄いわけでも何んでもない。何かを成した訳でもない。ご先祖様は凄かったかも知れないけど。しこたまいる子孫の中で、たまたま相続のラインにいただけ。
ましてや、何も持たずにさした確証のない血筋なんかに縋ったってどうしょうもないじゃん ウチは徳川家にひっついて三河から江戸に渡りそのまま住み着いたお家の分家筋 基本的に立派な血筋であるほど、昔のことは重いでしょうから、
苗字まで変えているし、ひっそりと暮らしているでしょうね。
私の家は、先祖代々百姓で没落したような家だから、大変安心ですが。 >>138
いや多分呪われてるレベル
従兄弟も壊滅的 手記を読むと代官が宿泊した記述と宿があった部分とか、伽羅の下駄を賜ったとか、幕府巡見使の案内役を務めたとある。
どんなもんなんだろうな、よくわからん。 江戸時代からの農家だが
先祖が代々記録してた文献が史料として評価されてる
大地震とかハレー彗星とか竹に花が咲いたとか未確認飛行物体とか諸々 んで家紋の話だけど、鷹羽がXの字に2つ描いてあるのは、
縁起がいいので商売やってる家が
本来の紋とは別に使ったりするのよ
うちもそう 本来は桔梗ですよ 父方は代々漁師で母方は代々農家だから悩む必要なし
親戚が米も野菜も干物もくれるからありがたすぎる 名字的には武士の流れを組む家系っぽいけど
絶対違うだろうなぁ
明治の時に先祖さんがその名字に憧れがあっただけだわ絶対 ♪あなたに今日は聞きたいのです
これっきり これっきり もう これっきりですか〜
また会えると思いますよ! というかちゃんとした家ならご先祖が何してたか伝わってるだろ
たかが庄屋のうちですら確実に捏造したであろう家系図とともに伝わってるんだからご先祖の出自がわからないって時点でその程度の家って事だ 昔の素封家とか豪農は、親戚や遠縁と結婚させるケースが多かったらしい。
それで体の弱い子供が生まれる確率が高かったと聞いたことがある。 うちは養子の家系だから
父方の先祖は曾祖父さんまでしかわからん
母方の先祖は津軽城でお勤めしていたらしい >>129
山は固定資産税やっすいよ
放置山林は下手したら固定資産税かからないし >>163
うちの親戚もかなり蒸発したわ
翌日に親父が行ったけど、諦めて帰って来た。 >>109 うちは2ヶ月に一度いきなり来て、数万円
持って行く庭師?さんだ 松の木をケチョンケチョン、椿もチョン、
僕は金木犀の木を植えたい、芍薬が綺麗
でも蜂が怖い > ◆先祖が武士であった場合の調査方法
> 江戸時代(1603〜1867)は、全国に300以上あった藩では、藩士の名簿を作っていました。
江戸の始めに帰農した例もあるだろうに
どうして江戸時代以降限定なんだ? 戦前の日本はいい国なのか?
おまえら田吾作にとっての話だけど。
だれに、いついい国だったなんて洗脳されたよ?え? 因みに、主君が関ヶ原で敗れて外様大名ですw その藩主も江戸時代に入ってお家取り潰しに
なって代わってます。家系図を遡ると、切腹してる先祖もいますw 氏名的には、ある場所に
行き着くな。歴史好きにとっては祖先を遡るのも面白い。過去の社会制度の意外な面が見える。 >>132
たぶん士族だよ
田って地形を表しているのだ、平地のことだな
平地の中だから結構良い土地だったりする
このような地形を示している場合は
公共施設のあった場所を示していることが多い
田が付く姓は大体は士族、織田とか武田とかそうでしょ
さらに田辺や上田や下田ではなく、
田の中だからなおさら士族の可能性が高い >>112 そうなんだよ、御先祖にはかんしゃしつつ、
毎日謙虚に暮らすのが一番 みんな立派な家系でいいのう。
うちなんかは、家紋もないくらいだから誇るもんもないわw >>168
江戸時代に幕府が葬式仏教を確立させたから >>94
ありがとう。
カミシモとか、、人に言えないものが
少なからずのこってて
雑に扱ってたんだけど
今後大切にするわ。 >>168
なあ? 江戸時代に武家だったか……ってんなら分かるが。
記事そのものがおかしい。 本家はめちゃくちゃ古いらしいけど武士じゃなくてたぶんずっと百姓
うちは幕末か明治初め頃に分家
うちの初代の人の長兄は商売やって金儲けて本家継がずに東京出て今の子孫も金持ち 〇田で良かった。今は都会に1000坪以上の土地を持ち
家賃収入だけでもン百万。全て百姓をしていたお陰です。
自分も中学生の頃採れたての野菜を近くの高級住宅街
にリヤカーを引いて売捌く祖父の手伝いをしていた。
近くの卸売市場に持って行ってもキュウリ1本1円だった。
それが10円で飛ぶように売れたのだ。なすびやキャベツ
やほうれん草も売った。田植えの時は母がおにぎりを作
ってきてくれて皆で食べた。美味かったわー。今は楽し
ているが全く楽しくはない。家族皆で野菜を作っていた
頃の方が貧しくても楽しかったのを忘れられません。 >>160
それうちだわ
父方の祖父と曽祖父がそれぞれの従姉妹と結婚 ♪急な坂道 駆けのぼったら
今も海が見えるでしょうか
この一節に坂本竜馬 海援隊のうちの3文字が入っています >>93
うちも300年以上農家
寺とのつながりがその地域でも相当古いから遡れたって親戚が言ってた
親戚は大正まで蚕の養殖と農業やってて今も山をいくつも持ってる
管理が大変で今の代で山も失くしたいらしい 朝鮮人に祖先の話をすると奴ら驚くんだよな
自称両班の子孫とか言っていても祖先の話は何もない
実際はほとんどが奴隷身分だったんだから当たり前だが >>130
でも今、藤原の姓の人は藤原氏と全然関係ないって聞いたことある >>154
武家なら家見れば分かるだろう?
何の痕跡も具体的な昔話もなければそういう事だろうよ なんかこの記事勘違いしているけど、日本人のほとんどが結構藤原鎌足
に繋がる。情報源は奈良県にある談山神社の記録。(大化の改新前に藤原
鎌足が密談した場所)
パンフレットは誰でも買える。日本人の大半は藤原の流れなんですよ。
中世から発生した武士とかそんなのどうでもええわ。 >>167
蜂何て、巣を見つけたら一番目が巣立つ直前に取ってしまえば良いだけやん
再度作り直す時間を奪うと、巣が大きくなれない >>6
周知すれば、結婚相手探しの時に同じ階級の人間が寄ってきやすくなるかも 日本は平和だから
1600年ぐらいまでなら普通の平民でも遡れる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています