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2019.11.18 Mon
「趣味の歴史修正主義」を憂う
大木毅 / 現代史家


拙著『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』(岩波新書)を上梓してから、およそ3 か月になる。幸い、ドイツ史やロシア・ソ連史の専門家、また一般の読書人からも、独ソ戦について知ろうとするとき、まずひもとくべき書であるという過分の評価をいただき、非常に嬉しく思っている。それこそ、まさに『独ソ戦』執筆の目的とし、努力したところであるからだ。

残念ながら、日本では、ヨーロッパにおける第二次世界大戦の展開について、30 年、場合によっては半世紀近く前の認識がまかり通ってきた。日本のアカデミズムが軍事や戦史を扱わず、学問的なアプローチによる研究が進まなかったこと、また、この間の翻訳出版をめぐる状況の悪化から、外国のしかるべき文献の刊行が困難となったことなどが、こうしたタイムラグにつながったと考えられる。もし拙著が、そのような現状に一石を投じることができたのなら、喜ばしいかぎりである。


しかし、上のような事情から、日本には、ヨーロッパの第二次世界大戦への理解について、大きなゆがみが存在する。拙著が、この問題の解決にどの程度資したかというと、いささか心もとない。いったい、どういうことなのか、まずは筆者の体験から記したい。

中略


カレルやアーヴィングがつくりだしたイメージは、劇画や戦記読み物、通俗的なムック、さらには、いわゆる「萌えミリ」作品を通じて、現在もなお流布されている。なかには、美少女キャラクターを使って、旧ドイツ国防軍の将軍たちが行った弁明やカレルの独ソ戦像を広めたものさえあった。こうしたサブカルチャーを通じた歴史修正主義の影響力は過小評価されるべきではない。そこには、政治的・思想的な側面に無自覚なものであるとはいえ、まさしく「趣味の歴史修正主義」ともいうべき状況が存在しているのである。

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