※中略

■破綻した自治体から叩き上げる

 鈴木は埼玉県生まれ。両親が離婚したため母子家庭で育てられた鈴木は、高校卒業後の1999年に東京都庁に入庁。地方公務員を選んだのは、恵まれない人々にとって行政サービスがいかに重要かを肌身で知っていたからだ。

 社会人になってから夜間に大学にも通ったが、大きな転機になったのは08年1月、猪瀬の発案で財政破綻した夕張市に派遣する応援職員の1人に選ばれたことだった。約2年間の派遣期間中の鈴木の行動力に心服した地元の若手経済人たちから推され出馬した11年4月の夕張市長選を制し、市長になった。

 給与7割カット、手取り20万円を切る待遇を覚悟で市民に飛び込んだだけではない。当時の問題意識は「政治力も弱い小さな町に過大な問題が置かれている」ということだった。

 当時の財政再生計画は「行政サービスは全国最低レベル、住民負担は全国最高レベル」に設定され、東京23区よりも広い面積に点在していた7つの小学校、4つの中学校はそれぞれ1つに統廃合され、住民税負担は増えた。これも“自己責任の結果”と見られていた。
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 借金返済が優先だから、保育園が雨漏りしても、雪かきができずに市民プールの屋根が崩壊しても、市の一存では修復工事1つ決められなかった。

 鈴木は国への働きかけを強め、2期目の折り返しの年だった17年3月、とうとうこの再生計画の抜本見直しを総務省が認めた。企業版ふるさと納税を活用しつつ、コンパクトシティ化に向け、認定子ども園の整備など未来志向の投資を可能にし、国の財源も引き出した。

 最後は市民から「市長の給料をあげろ」という声も出たが、鈴木は8年の任期切れまで上げなかった。

 38歳になった2019年4月、若さと市政の実績を買われるかたちで当選した北海道知事は、夕張市に比して予算規模でじつに約250倍にもなる道庁を率いる。8月からは知事の給料・ボーナス・退職金の3割カットも始めた。

■「小泉進次郎を超える政治家になるよ、彼は」

 アルタ前の演説に戻りたい。

 その日本を牽引する都知事が強い基盤を築けるよう、「絶大なる支持」を投票行動で示してほしい、と締め括っていた。〈ゼツダイナルシジ〉という言葉にアクセントをつけたところで聴衆を見渡した鈴木の姿は、1人ひとりに具体的な行動をするよう、要求を突きつけるように私は見受けた。

 私の横で、国会議員時代から石原慎太郎に仕える特別秘書の高井英樹も聞いていた。石原秘書軍団の中でも“一匹狼”で知られるが、直感的な洞察力は石原から重宝されてきたといわれる。そんな高井がつぶやいた。
■ 「小泉進次郎を超える政治家になるよ、彼は」

 地元ネタとユーモアを交えた応援演説が売りの進次郎は元内閣総理大臣の地盤を受け継ぎ「次の総理」の上位に必ず名が挙がる。対する鈴木は、貧困家庭に暮らした経験から都職員の道を選び政治の才を見出された。

 奇しくも2人とも昭和56年生まれだ。鈴木が知事になった今年、私には高井の「予言」が何度も思い起こされた。
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■ジリ貧の北海道をどう建て直すか?

 知事になった鈴木は北海道で何をするのか。

 札幌市はマラソン・競歩の急転直下の移転によって2020年五輪の成否を握ることになった。その札幌は30年冬季五輪招致に名乗りを挙げており、今回のマラソンの成功はホストシティとしての能力の証明に直結する。一方、11月29日は道議会定例会でIR(カジノ)誘致については断念すると表明した。

 いちいち注目されるのは、ジリ貧が見えかくれする北海道経済の希望を道民もメディアも探しているからだ。合計特殊出生率は東京都に次ぐワースト2位の1・27。人口はすでにピークの97年から6パーセントも減っている。

 鈴木は、新しい北海道の未来予想図を描けるのか。人口は8000人とピーク時のじつに15分の1を切るまでに減った夕張市で、鈴木は何をしていたか、東京にいると見えないその仕事ぶりを知りたくなり、私は北海道に取材を重ねることにした。人口減少で経済の成長余地が減る政治は、もう利益を分け合うことはできず、不利益を押し付け合う構図が頻出する。夕張はそのモデルケースになるとも思えたのだ。

以下ソース先で

3/4(水) 9:15 文春オンライン
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200304-00036415-bunshun-pol&;p=1
https://lpt.c.yimg.jp/amd/20200304-10001116-bunshuns-000-thumb.jpg