【朝日新聞】明治維新の佐賀の乱 細川家嫡男の身柄を巡る政府軍と旧熊本藩士の間の騒動を、新史料で確認 [みの★]
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明治維新直後の1874(明治7)年、佐賀県で起きた不平士族の反乱「佐賀の乱」に鎮圧部隊を送った政府軍の鎮台がある熊本で、旧藩主細川家の「お世継ぎ」を巡って政府軍と旧藩士がにらみ合う騒動があったことを記録した史料が新たに見つかった。熊本大が発表した。
熊本藩筆頭家老だった松井家の日記に記述があるのを、熊本大永青文庫研究センターの今村直樹准教授が発見した。
廃藩置県後に上京した旧藩主・細川護久(もりひさ)の長男で、熊本に残っていた護成(もりしげ)(幼名・建千代(たつちよ)、当時5歳)を鎮台本営のある熊本城に移すよう、鎮台から細川家の熊本本邸に要請があったが、細川家は断り、護成を守ろうと邸宅の周りに約1千人の旧藩士が集まっているという内容。同様の記録は旧藩士のリーダー格で、その後の西南戦争で西郷隆盛軍に参加した池辺吉十郎の日記でも見つかった。
…続きはソースで。
https://www.asahi.com/articles/ASP4Z6254P4ZTIPE00P.html
2021年4月30日 18時48分 長宗我部なんて豊臣と戦国時代と共に滅んだ
あるのは上士と郷士の葛藤やら確執やら >>22
とはいえ 加藤家の墓は米沢にあるんだけど >>23
だって黒田さんがお米引越し先に持ってっちゃったから・・・ >>31
そっか、黒田も細川も一時期、中津の領主だったな。
黒田の後に入ったのが細川か。 >>32
そう。通常転封の際にはその年の収穫は置いていくところ、黒田が福岡に持っていったので後に入った細川が怒った >>30
でも加藤神社が熊本場城内にあるんだな
清正公以外のお殿様の名前を答えられる熊本県民は30%いないんじゃないかなってくらい絶対的存在
ちなみに地元では清正公はせいしょこさんと呼ばれる >>20
中身は半グレと同じで「下のモンに声掛けろや」って何人かが触れ回れば下っ端はそれに従うしかない >>33
さすがは、城井一族をだまし討ちで皆殺しにした黒田。
やることが汚い。(´・ω・`) >>20
そりゃ殿様から離れたら自分等は何らかの技能があるわけでもなし
時代にもついていけずあっという間に干上がってしまうからね
こういうの食わせていくために殿様の家はあっという間に借金まみれで
没落しようにもできなくてその支払われる宛のない負債で
今の政府で起きてるみたいに額面上は銭があるものの自由に使える動かせる金が無くて大不況
戦争の連続に日本はなった 結局大東亜の敗戦でようやく清算されたけどね >>38 細川護久をどういう理由で亡き者にするのか…? お互い強硬派に引っ張られずに済んで良かったな
まあ60〜70年後、そういうのに引っ張られて亡国寸前になるんだけど >>40
昭和の軍人で、旧熊本藩士に誰か有名な人はいたかな?
佐賀藩出身の軍人には、名高いあの陸軍中将がいるが… >>29
東條総理兼参謀総長暗殺未遂で特高か憲兵に 細川隆一郎、テレ朝の細川隆三もこの家系、実は細川隆元この細川家の方が本来は長男の家系、何故か護煕の方が家督相続になってしまった。 >>42
管領細川家とは
ほとんど関係ないぐらい血縁遠い
幽斎は将軍ご落胤節あるけど >>20
熊本藩は54万石の国持大名だから家臣も多い 明治維新は外国による干渉革命であって日本が誇れる事は何一つ無い。 カキコ50経過。
佐賀の乱のスレなのに、これまで江藤新平の名前なし。(´・ω・`) >>52 一日も経たずに終わったけどね。(´・ω・`) >>45
細川隆元、隆一郎は細川忠興とガラシャの長男忠隆の系統で
細川忠興とガラシャの息子は忠隆、興秋、忠利の三人で
家督は三男忠利が相続したけど途絶えたので細川忠興の四男立孝の
子孫が継いだんだな 旧藩主嫡子を鎮台に渡せ、てことは要するに人質渡せてことなんだな >>56 熊本には新幹線が通ってるだろ。(´・ω・`) >>41
昭和じゃなくて日露戦争の頃だけど、松永正敏は熊本藩士の出身かな
大活躍と言っていいと思う 明治のサムライの話題のスレ
まあねえ、そりゃ徳川三百年の太平の歴史に
代々藩主の御家のために生き、御家のために4ぬことを
人生の目的として教え理解し生きてきたわけでね。
そりゃ明治の御世だから四民平等だからと
一朝一夕メンタリティーが変わることもないわな。
明治7年なら断髪令はすでに出ていて、
まあ、廃刀令や秩禄処分はまだだけど、
そういう武士が武士でなくなる時代においても
主家のためには馳せ参じる慣習は当然まだあるわけだ。
御家の御曹司守護のため、あつまった旧藩士1000名ってのはアツいよな。 あとスレでは西南戦争の話題が出ているけど
>>13 くんの御意見ねえ
>>12 くんや>>17 くんがいっているように
久光公と西郷南洲が往時仲がイマイチで
俗に西郷は死に場所を探していて、蹶起したんじゃないかとか
色々言われるところもあるんだけど、まあ主従のギャップを埋めるのは
これはなかなか大変だよなあ。
島津久光はむろん幕末維新のキーパーソンであり
倒幕なんてするくらいだから比較的開明的な
西国雄藩の一角ではあったのだろうが
それにしたって明治以降のビヘイビアを見ると
やはり守旧派であり明治以降の時節にはキャッチアップはできなかったろうねえ。
まあ断髪廃刀しなかったなんてとこからも明らかだけどサ
そしてそういう大物旧藩主の反動的建白その他にも
公然Noがいえた東京に座す明治政府の大物たちもこれは見識だよね。
もとは薩長雄藩の出とはいえ上意には絶対服従の
藩士メンタリティーがあったはずだし、元は下級武士多いからねえ。 >>61
「日本はアメリカに勝てない」という研究を、東條英機に報告したのが原因で
南方戦線送りにされたものの寺内寿一に救われた、松前重義も広義の昭和の軍人w >>60 くんが熊本藩士たる人斬り彦斎の名を出しているが
幕末四大人斬りは人斬りなぞといわれるだけあって
幕末から維新にかけいて、たくさんの政敵、人士を斬奸したもんだろうが
その最期は人斬りという殺人者にふさわしく悲惨なものでしたな。
その中でも河上彦斎の最期ってのはあれはよくわからなくて
まあ明治維新政府内部の粛清なんだろうな。
その意味では思想に殉じたといってもいいかもしれない。
なんせ明治維新の当局者だって好くなからずは尊攘激派であって
人斬りの数は比較的少ないとはいえ、やることはやってる人士多いからね。
幕府から見りゃテロリストみたいな陰謀から実行からやってるのおったからね。
まあそんなこといえば倒幕そのものが大逆謀叛の極みではあろうがさ。
あと、上記とは関係ないが>1には池辺吉十郎の名前が出ているね。
この人は確か、夏目漱石先生をひきあげた明治のジャーナリスト
池辺三山の親父さんじゃなかったかな?
たしか西南戦役で戦死してたと思うが、どうか。 佐賀の乱の時、江藤が西郷に協力を
要請したけど断られた、
その後江藤は武士としては異例の晒し首、
西郷は政府の戦って田原坂で死亡。 >>4
こうして始めた中央集権体制と東京一極集中体制をいつまで続けるのかね
もうとっくに限界を迎えてると思うけど >>1
この時代、熊本はホットスポットだった
神風連の乱
熊本バンド事件
三島由紀夫『奔馬』で読んだわ >>68
池田屋事件で犠牲になった宮部鼎蔵とか、
『るろうに剣心』のモデルにもなった「人斬り」河上彦斎とか、
なにげに、熊本の人もなにげに幕末史に顔をのぞかせるんだけどね… >>65
河上彦斎は時代に利用され、時代に乗り遅れ、時代に切り捨てられた。
人斬りだけど、哀れな奴だよ…(~_~;) >>63
また知的コンプレックス塗れの貧乏人がカタカナ語使いまくりかw
お前はお前自身の人生がゴミクズだからと言って5chで偉そうに振舞うな。
負け犬アスペルガー特有の「過集中」w
http://hissi.org/read.php/newsplus/20201223/akFBUlhIcFUw.html
http://hissi.org/read.php/newsplus/20210430/NnkzUFExOFgw.html
そんな仕事以外のところで必死になったら仕事で使い物にならないのは当然だろうに。
そんなだからお前はバイトでもつかえないゴミクズなんだよw
使えないバイト爺だと自白。
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1602713634/122
>平均時給が1117円? これは肌感覚からして高い気もするなあ。
8時間バイトで8時間睡眠で8時間5chにアスペルガー特有の過集中で張り付き(※)
おまけにゲームもやって猫は放置、それがお前。 >>70
それで思い出したヨタ話だがw まあ歴史上の人物のことだし、
あまり病跡学のようなことは言いたくないが思うところはあってさ。
あの他者他人を斬ることに対する頓着のなさ、
(ウィキペ先生にある勝海舟との人を唐茄子に例えて
邪魔者を斬ることに頓着抵抗のない精神を述懐した問答は典型だ)
時流が変わっても当初の思想である尊王攘夷への頑なさ、
あとは、そう、やたらストイックなところとか、そういうの考えると、
今風に言えばなんだアスペっていうんですか、っぽういところは感じるんだよな。
まあ昔の人間を今の感覚で論ずるのもアレなんだけど
当時においても怖れられると同時に味方からも嫌がられる、
それが維新回天のある意味立役者、剣で身を立てた志士でありながら
勝者の側であるにもかかわらず、ああいう最後につながったんだろうが、
そういうところを感じるところも、あるね。 >>72
お前が典型的なアスペルガーじゃねえかw
>>71
俺は文庫本一冊30分程度で読めるくらいには何かと速いが、
そのペースで毎日ゴミ文章書くのは無理だわ。
(コピペならできるぞ、今アマプラ見ながら、財務分析しながらやってるw) まあ管領細川家も長男の家系じゃねえしな 長男家は確か室町時代の最初の方で没落とるし 佐賀の乱の本当の原因は政府軍として派遣された岩村
コイツは坂本龍馬のパシリ程度の書生だったが、坂本が死んだあと
なぜか薩長に取り入って出世した、北越戦争では長岡藩家老の河井の
上申書を蹴ったりと尊大な人物。 佐賀の乱も不穏な空気はあったが
乱とまではいかなかった、岩村が尊大な態度でふるまうから佐賀士族は
爆発した。 >>76
岩村高俊の佐賀県令への任命は、
佐賀士族に反乱を起こさせるための大久保の謀略だと、
木戸孝允は言ってたそうな。(´・ω・`) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています