【歴史】源頼朝はなぜ日本人に人気がないのか?★2 [かわる★]
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筆者は歴史関連雑誌等の編集に関わっているので、「歴史上の人物で誰を記事に取り上げてほしいですか?」という、読者アンケートの結果などを目にする機会がある。頼朝が上位にランキングされたのは、見たことがない。
・源義経を殺した男
・猜疑(さいぎ)心が強く陰険、かつ冷酷
・鎌倉幕府の創始者というが、武士団に「神輿(みこし)」として担がれただけ
・戦(いくさ)に弱い
・3代で源氏の血を途絶えさせた、先を見通せていない
専門的な書籍を読む歴史好きの意見は異なるだろうが、一般の日本人が抱く頼朝像は、概してこのようなものだ。
日本人の歴史観を培う上で、影響が少なくない大河ドラマはどうだろう。『鎌倉殿の13人』を含め7作に頼朝が登場するほか、「新大型時代劇」(NHK)枠で放送された『武蔵坊弁慶』も含め、8作品を一覧表にした。
頼朝が主人公の作品は『草燃える』だけ。もっとも同作でも、頼朝はドラマ前半で没するため、後半の主人公は北条政子(演じたのは岩下志麻)であり、全体を通しても政子が強く印象に残る作品だった。
一方、義経・平清盛が主人公の作品はそれぞれ2作あり、これを見た限りでは、同時代の他の人物と比べて人気がないキャラクターと考えられていたことがうかがえる。
「戦に弱い」印象を、払しょくできないのが痛い。ファンが好む英雄は、時代が異なるが武田信玄や上杉謙信のように、鬼神のごとく強い。
対して頼朝は、鎌倉に留まって命令を下すだけで、戦ったのは義経や範頼らの弟たちである。当の本人は治承4(1180)年、挙兵した直後の石橋山の戦いで平家軍に惨敗して逃げるなど、戦が下手というレッテルを貼られている。
自らは戦わず、戦功のあった義経を捨てて殺害した冷酷な一面はどうだろう。山本氏は冷酷さは認めるものの、頼朝の心中に分け入った分析をする。
「敵対する平家一門や奥州藤原氏ばかりでなく、義経ら一族も容赦なく滅亡に追い込んだわけですから、冷酷といえば冷酷です。ただ、神託や前例、奇瑞(きずい / 吉兆のしるし)などを重んじて、神祇信仰(仏教伝来以前の原始的神道)や法華信仰(大乗仏教を経典とした思想)にも熱心であったところをみると、冷酷さを自覚し、救いを求めていた人間の弱さもうかがわれると思います」
義経の殺害で頼朝を責めるのは、筋違いと語るのが細川氏。
「義経は自滅です。戦は抜群に強いが、政治的センスはゼロですからね。また、源平合戦で頼朝は活躍していないといいますが、鎌倉は大本営。頼朝自らが大本営から出陣する必要はなく、そこにツッコミ入れるのは義経への同情からくる難癖ですよ」(細川氏)
義経は、頼朝の許しなく朝廷から勝手に官位を授かってはならないと定めたのに、検非違使少尉(けびいしのしょうじょう)の役職を受けてしまうなど、独断専行が目立った。
官位は頼朝と朝廷のあいだで交渉すべき重要な政治案件であり、駆け引きでもあるのだが、それを好き放題にされては、「義経、兄の意図が分からんのか?」となってもしかたない。
権力者の例にもれず晩節を汚した
ただし、晩年になると様子が変わってくる。建久8(1197)年、娘の大姫(おおひめ)が死去した頃からだ。
大姫は最初の夫を頼朝に殺され、その後は天皇への入内を計画中に死去するなど、政治に翻弄された女性だった。
山本氏は、頼朝の晩節をこう語る。
「大姫の入内工作に失敗したのは悔いが残ったでしょうね。そのうえ幕府の権力継承も未完成のまま、志半ばで急死します。平家一門は結果として滅亡するものの、一時は栄華を極めましたから、平清盛と比較すると存在感の薄さは否定できないと思うんです」
清盛を主人公とした大河が頼朝より多いのは、この存在感ゆえといっていいかもしれない。細川氏は、大姫の死によって頼朝は精神のバランスを崩しはじめたと指摘する。
「娘を政治の道具にし早逝されたのは、ショックだったでしょう。またこの時期の頼朝は肥満していたと考えます。おそらく糖尿病。体調不良は大姫の死の前から始まっていたようで、病によって判断能力に支障が出てきたのか、残酷な行為にも及んでいます」(細川氏)
最後に北条政子と頼朝の関係についてもひと言。
「妻の政子が気の強い女性としてあまりに有名なため、尻に敷かれた情けない男という印象もあるのかもしれません。これは頼朝不人気の要因の一つとして見逃せないのでは」
https://news.yahoo.co.jp/articles/81a83b95567518a4f312d8992f54f456926c7572?page=1
前
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1640599944/ それまでの日本が
中国様の猿マネで国家運営してたのが
源頼朝から独自路線
手本も無いのによくやったと思われ >>71
ホントきたねえからな義経は
頼朝は何かしらの理想があったんでしょう 自分の兄弟を粛清しまくったあげく
自分の血統消滅とかアホすぎやん でも鎌倉時代の権力の移り変わりが面白いんだよな
天皇の権力を将軍が奪い
将軍の権力を執権が奪い
執権の権力を連署が奪い
実質上の王様は連署だったんだろ? >>11
それは諸説あるし、1192年がやっぱ正しそう >>79
え?
平氏(清盛)に対する復讐と源氏の天下取りだろ
それ以外何ある? そんな人気の無い頼朝名を桜に付けて喜んでいる町が鋸南町 源頼朝より昔の人は皆んな人気ない。昔過ぎてイマイチピンと来ないし。 ・鎌倉幕府の創始者というが、武士団に「神輿(みこし)」として担がれただけ
・戦(いくさ)に弱い
・3代で源氏の血を途絶えさせた、先を見通せていない
いったいどんな本読んでこんなこと言ってんだ
まともな本読めよ
せめて新書でも中公レベルを >>23
将軍御所は年代によって異なるが、若宮大路沿いに二ヶ所、西御門と東御門の間に一ヶ所の計三ヶ所があった。問注所や侍所は御所とは別の場所にあった。 >>73
八幡宮のすぐ隣に屋敷があって政務をやってたのか。
あっそうか、地形が城みたいなものなんだっけ、鎌倉って。 嫁に操られて弟を殺す人のイメージしかない
本当の事は知らんけど >>113
時宗ディスるなよ
あれは凄い
誰が貶めようと俺は評価する >>87
へえ
まあ今の日本の基礎って頼朝の影響がめちゃくちゃ大きいもんな >>109
有名な「応仁の乱以前は日本じゃないので知らなくていいです」だな >>89
いいんじゃね、そうゆうスタンスも
ただそれじゃ相手の知識や考えを否定する理由にはならないよな?
まあそれはお前やお前の様な生きスタイルの人間がそうゆう局面で対峙した時に考えればいい話なんだろうがなあ
因果律を否定しないその姿勢にはbを送るぜ(笑) >>14
家康は格が違うでしょ。それまでの「征夷大将軍」がせいぜい地方軍閥か京都周辺のローカルだったのに対して全国統一したわけだからね みんなが源頼朝だと思ってた絵の人物は
おそらく足利直義だったんだよな
でも性格的に源頼朝と足利直義はそっくり
生まれ変わりなんじゃね? 娘はめっちゃ可愛がったんだっけ。分かるな、嫁の実家強いし >>118
以前おれが時宗ディスったとき、しつこく反論してきたの、あんただな? >>87
へぇ、そうなんだ
頼朝の生誕地である現在の名古屋市熱田は、
家康が竹千代時代に幽閉されていたのも、
ちょうど熱田だったし
時代は違えど頼朝を身近に感じられたのかも >>125
天下安寧の石末を築いたのは秀吉だ
家康はそこまで評価する要素はない
たぬきお爺ちゃんと言う印象 清盛の迫害から逃れて頑張ったのは義経と同じなのにね >>77
あれは家康が作戦も建てずに破れかぶれで挑んだ戦だからな。城に籠もっていても最終的には勝てた
信濃半国をやっとこさ保ってるだけの村上氏にさえ勝てなかったからな。村上義清って誰も知らない様な武将だぞ 天下統一
↓
将軍になったら身内や有力者を粛清
↓
馬から落ちて死ぬ
↓
粛清しまくったせいで北条の天下
ここまで大河でやってほしい 戦術家は持ち上げられるが、戦略家、政略家はなぜか落とされる
後者ほど重要なのに 頼朝はまさに偉人だとは思う
しかし人気なんてのは所詮はイメージだからね
歴史詳しい奴以外はそりゃ人気ないのは頷ける >>130
ものの本によると、資料上の義経は
ちびで出っ歯なブ男だったらしいのだが、
いつの間にか美少年として扱われるようになってしまった >>116
戦国時代もそうだぞ
領主が住む場所は御館と呼ばれ
城を持たないのが普通だった。今川家とかもそうだし 兄より優秀な弟などあってはならない
こんな感じだから >>130
それは難しいかな
頼朝は物理的に動く人間ではないから
要するに思慮深いのよな >>100
南北朝時代は天皇で二欄(北朝と南朝)と将軍欄だね
権力構造としては鎌倉時代の方が複雑じゃないの >>88
これよね
あと政子さんが薄幸の美女白拍子じゃなくて
財力権力ある可愛くない鬼嫁イメージ強いのもね >>138
いやそれ知らない戦国ファンは尼子を知らないファンくらいにわかだろ… >>125
>>136
確かに日本初の天下統一は秀吉かもね
隅々まで言う事聞かせれる人はじめてやな 武士の宗家は、平氏
「兵士(ソルジャー)」は平氏が語源
頼朝を武家と足らしめたのは平氏(清盛と平家土肥実平)のおかげ 前線に出ずリスク負わずに勝ってもね
そりゃ人気なんて出ないよ
見てても何も面白くない 頼朝はいくさに行ってるのか?
義経が戦ってるイメージ 死に際がダサすぎる。征夷大将軍が平時の落馬で死亡って・・
信長の人間50年の死に方と比べると際立つ。
あとはやっぱり身内を次々追い込んで殺していくのも暗い。義経はともかくそれ以外も殺す必要あったのかと
そしてその結果源氏本家がいなくなって北条に乗っ取られる様も >>126
あの絵かっこいいよな
あれといい仏像といい
日本の中世芸術はかなり写実的でかっこいいんだが
なんで浮世絵とかになっちゃったんだろう 有能な弟を殺したから。
有能な弟を持つと不吉だね。
天皇みたいに。 >>94
確かに徳川家康が天下とる前あたりまでは平家が人気だったらしい
平敦盛とかのほうが人気だったんだよな >>161
弟あってこそだな。尊氏だけじゃ気前良すぎて会社潰れちゃうw >>145
政治センスは皆無で周りからチヤホヤされてその気に成るような戯け。戦が強かったそうだが、最終的に敗死してりゃ世話ないわな >>144
良くそんな嘘を平気で吐けるな。戦国時代の城が沢山残ってるじゃん。 >>148
地味な奴程優秀だからな
そういうのは江戸時代には腐るほどいる 源頼朝の良さは武家の子孫にしか理解されない。
つまり農民出の馬鹿に共には分からない(爆笑) 義経が弁慶とか
たまたま知り合った奴ら仲間にする良いやつだから 日本人は、判官びいきだからね
この言葉が生まれる由来になったんだもの、同時代の人々も頼朝にはいい感情持ってなかったはず 何か北条の傀儡って印象しかない
you弟くんやっちゃえよーみたいな 頼朝は菅タイプだから 安倍ちゃんタイプじゃないとね! 日本人は源義経のような夭折した英雄が大好きだからな。英雄も長生きしたらタダの人になってたかもしれないのに >>170
義経って戦バカで政治的センスが壊滅的になかったんだってなあ。頼朝が怒るのも良く分かる。 天下統一して家族を粛正しまくる最中に落馬して死亡って
チンギス・ハーンと完全に同じじゃないか
というかチンギス・ハーンのエピソードを引っ張ってきただけで
頼朝は普通に病死か妻に毒を盛られて暗殺されただけだと思うぞ >>173
何言ってんだよ。神様にしたのは息子と徳川幕府だろ。人気じゃなくて思い切り利権当事者w >>147
上でもあるけど
天皇いて関白いて将軍いて執権いて得宗が権力持ってるからな 義経って実際は脳筋だったんだっけ
後世では薄幸の美青年にされてるけど
実際は勝つためなら民間人も平気で殺すくらいのサイコパスだったとか >>157
ウルトラ疑心暗鬼だったんだろうね〜
信長も
弟、叔父さん殺して
母親軟禁して事実上殺してるけどね 嫁のほうが能力も権力もあって頭が上がらないイメージ >>155
山本五十六とか。前線に出たら出たで、あっさりと戦死。笑いも取れて無いからな >>165
そういわれてみれば
最初のペンギンに地ならしさせていいとこどりした点で似てる
でも日本人てみんな頼朝・家康型だぜ? >>190
鎌倉末期は得宗も形骸化して内管領が実権を握ってた 前線に立たなきゃそりゃ不人気だよ
信長が人気あるのは自ら前線に立つからだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています