【のりもの】九七年型艦上攻撃機を展示・西之表 [水星虫★]
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種子島沖で引き揚げ 旧日本軍の艦上攻撃機を展示 西之表市
*ソース元にニュース画像あり*
http://www3.nhk.or.jp/lnews/kagoshima/20220104/5050017388.html
※NHKローカルニュースは元記事が消えるのが早いので御注意を
西之表市にある鉄砲館で、種子島沖から引き揚げられた旧日本軍の「九七式艦上攻撃機」の
部品の一部などを展示する催しが行われています。
展示されているのは、去年6月、遺骨収集の調査のために種子島沖の海底から引き揚げられた
旧日本海軍の攻撃機「九七式艦上攻撃機」の部品の一部や調査の際に撮影した写真などおよそ50点です。
「九七式艦上攻撃機」は、太平洋戦争末期には特攻にも使われ、海底に沈んだ機体を
全方位から撮影してつなぎ合わせた3Dの映像は、機体の大部分が砂に覆われていますが、
主翼や胴体部分を立体的に見ることができます。
このほか会場には、操縦かんの一部や操縦席の近くから発見された鉛筆や工具なども展示されています。
親子で訪れた40代の女性は「戦争で亡くなった人たちの無念な気持ちを想像すると、
とても胸が痛い。実際にこういうことがあったということを伝えていきたい」と話していました。
西之表市教育委員会の鮫島斉さんは「子どもたちの親の世代も、戦争から遠くなっている。
戦争を語れる方も少なくなってきたので、こういったものを通して、忘れることなく、
戦争や平和とは何かということを考えて行けたらいいと思う」と話していました。
この催しは、西之表市の鉄砲館で今月23日まで開かれています。
01/04 14:59 機動性の高い艦爆の急降下爆撃はともかく、
三座で魚雷抱えて低空でまっすぐ飛ぶ雷撃機とか、今考えるとマジで特攻と同レベルでヤバい >>1
「過去の栄光にしがみつく惨めな男の姿」
モンキッキーの嫁日はお猿時代のグッズを眺めてにやつく落ちぶれたモンキッキーにこう言ったそうだ 九七年型って書く奴初めて見たわ
無知にもほどがあるぞ >>1
皇紀を知らない人に「1897年に完成した飛行機」と勘違いされそう。 >>3
緒戦のマレー沖海戦でも魚雷を命中させた陸上攻撃機の多くが撃墜されているな。 これで罪もない韓国の人たちが多数虐殺されたんだろうなぁ。
女性はジープでさらわれて従軍慰安婦にしてたし。
戦犯四等民族クソジャップは氏ね。 >>11
ポムポム砲の弾幕は、当時としては最強クラス 「戦争で亡くなった人たちの無念を思うと胸が痛い」
昔は食うものもロクになくてみな飢えていたんだけど
今の日本は食べ物をさんざん粗末にしてるくせに何を言ってやがんだ
白々しく黙祷なんかしてんじゃーねぞボケ お国の為に戦死した若人が沢山いる一方で
戦犯一族の末裔の1人は国民の血税で海外で男とのんびりラーメンですよ
皇室解体宮内庁廃止はよ
ウラで暗躍する害務省の腐れ役人も吊るし上げろ 「戦争で亡くなった人たちの気持ちを想像するととても胸が痛い」
おまえは1度ガタルカナル島で修行してこいボケ 1年間で2500万トンもの食品廃棄をやっていて戦争で胸が痛い?
アホかコノヤロ飢え死にしろ ただのハネの一部じゃないか。
キャスターのお姉さんが結構好み >>1
今月23日までかよオミクロンのせいで行けないな >>14
存在しない国の人間を虐殺なんかできねーよ 九州沖から沖縄にかけての海底には、愛機と共に沈んだ英霊がまだまだ多く眠ってるんだろうなぁ。 戦争で胸が痛いとか戦争に対する反省とかクチばっかりポーズばっかり
昔の人は前線の兵隊でさえ飢えていたことを知ってるから食い物を粗末にしたらバチがあたると言って慎んでいた
それが何だよ今は
食品廃棄2500万トンだぞ?
こんだけドブに捨てて余計な処分費用を使っていて赤字国債だ?ふざけんなよ うちは一昨年は母と叔父、昨年は叔母が亡くなった
叔父はシベリア帰り
葬儀で出された料理でさえ余したり捨てたりしねえーぞ
叔父のひとりはフィリピンのダバオで戦死してるからな
戦争で胸が痛い?
戦争を痛むというのはうちみたいな血統のことであって
口先だけポーズだけのくせにふざけんな >>27
おっしゃる通り。
日本は成長期の贅沢病から抜け切れず、
明日食う飯にも困るようになってきたのに、
無駄に食糧輸入して贅沢三昧、石油輸入して湯水のごとく使う
こんな国が経済成長できるわけがない
いくら働いても豊かになるわけない >>27
それが資本主義なんだよ。
アメリカに行ってみろ。食料廃棄量は桁が違う。 カウルが黒かったらゼロ戦
これしか分かりません>< >>30
資本主義関係ない
アメリカ国民は戦争で飢えてない やめろやめろこんなもん展示しても税金の無駄遣いだ
自治体関連職員の飯の種を確保するためのイベントふざけんな >>3
実際特攻みたいなものやし
損耗率がシャレにならないもの 原爆慰霊も終戦の日の式典もやめろ
税金を食い潰すための口実づくりだ
どうせ中抜きピンハネしてるだけだろうが
戦争の痛みとかふざけんな
本当に痛みを感じている日本ならば
子どもが食えなくて「子ども食堂」だなんてありえねーだろバカヤロ >>34
無理して全部食う方が健康に悪いし結果的に医療費にはね返るからむしろ反社会的行為なんだが だいたいな
原発反対だとか言って電子楽器でジャンジャンしてネオンでステージ照らして電気をバンバン浪費する文化な国だからな日本は
何にも反省してない >>37
必要なだけ用意すればいいだけ
葬儀の注文料理は量の調整が難しいから持ち帰る
口先だけ反省のポーズなんて見え透いてる
毎年広島長崎の式典を中継してるが白々しくて見てらんない >>31
手前からゼロ戦
97艦攻が2機で一番奥が99艦爆
ttps://www.google.com/amp/s/warbirdsnews.com/warbirds-news/tora-tora-tora.html/amp 雷撃機は低速ノロマで魚雷を落とすまではある程度敵の軍艦に低高度で直進をしなきゃならんので、実に対空砲の狙いが定めやすいな 射手の首も痛くならん >>43
ただ、同時期の艦上攻撃機(雷撃機)の中では抜きん出た性能を持っていたのも事実 >>43
でもビスマルクの舵に魚雷を当てて行動の自由を奪ったのは複葉機のソードフィッシュ… 時期限定じゃなくてずっと展示したほうがいいと思う
知覧みたいに >>11
調べたら参加機数全75機、うち雷撃装備49機、被撃墜3機じゃんw >>47
使い方なんだよね ビスマルク追撃戦ではソードフィッシュは夜間攻撃で対空砲火の狙いも定まらなかった
チャンネルダッシュでは昼間にソードフィッシュをドイツ戦艦戦隊に雷撃に向かわせると言う無謀
どうしょうもなかったんだろうけど自殺行為に他ならず当然のように全機撃墜された >>3
太平洋戦争当時の艦攻艦爆乗りの平均寿命は、大規模作戦への参加回数3回程度だったそうだな >>42
参加機85 うち被弾25 被撃墜3 大破2 戦死21 マジレスすると
シャブ打って「ヒャッホー!www」状態で突入ってのが真実だから >>53
ちょっと違う。
3回雷撃して生きてる艦攻乗りは変態と呼ばれた。 散華なされた方たちのおかげで今の俺たちがいる。しかも、その方々は多くが20代の若者だぜ。
感謝こそすれ、腐すってやつの気が知れない。 >>53
ソ連のタンクデサント、戦車上に乗って突撃する兵は
平均寿命一週間だった >>56
クスリなんかやってたら反ってビビってやれないよ 当時の日本の航空機なんてハリボテのジュラルミン細工にライセンスエンジンのパクリを乗せただけのK国製自動車並み。97艦攻も緒戦で全部海のも屑。その点飛燕なんて水冷エンジンのライセンス生産がうまく行かずガワばかり作ったものが大量に残ってたので新品のハリボテが各務原の航空博物館に残ってるよ。 覚醒剤は当時合法で、夜間哨戒では夜目が利く薬、長距離飛行では眠くならない薬、
特攻ではやる気が出る薬として普通に使われてた。
そういう事実を伏せてハンパな美談で語る今の風潮が真実を愚弄してるわな。
欧米の植民地でも、原住民がヤクやって襲ってきて
9mm拳銃では何発撃っても倒れないからコルトガバメントが復活したのは有名な話。 >>15
ただしこの海戦においては故障ばかりでほとんど役に立たなかったw 零戦をちょっと大きくしたくらいの機体に三人乗ったら窮屈だろうとは思ったが
自重2.2トンだから「80s×3人」として240s。大したこと無いのかな・・・
装備重量が3.8トンだから800s爆弾や1トン近い魚雷を抱えて飛べると
速度が370Km/hということは約200ノットか
戦闘機に襲われたらひとたまりもなさそうな鈍足だな >>67
そらまあ1542年(一説では1544年)に難破接岸したポルトガル船から
もたらされたという鉄砲を展示しているじゃなかろうか 九七式艦上攻撃機ってメーカー違いの2機種あるけどどっちだ? >>2
アホか
戦争負けた時に
米軍に破壊されてるわ
生き残ってた軍艦も原爆実験の標的にされて沈んだ 戦死することの無念より、戦死してまで守った国が、自分たちを哀れな被害者にしていることの方が無念だと思うわ 97艦攻の特攻より赤トンボ練習機の特攻の方が成功したらしい
ステルスだし遅すぎて対空砲の照準が合わない >>66
だから護衛で戦闘機付けるんやで
味方戦闘機が敵さん足止めしてる間にズドンよ >>52
艦隊の上空にBf-109やFw-190を待機させたドイツ海軍
沖縄に向かう大和を味方戦闘機の上空援護無しの丸裸で送り出した日本海軍 >>11
撃墜したのはほぼレパルスのヴィッカース12.7mm四連装機銃だけどな。テナント艦長の驚異的な操艦能力と相まって粘りまくった
ただ、紙装甲の巡洋戦艦だから被弾したらあっと言う間に沈んでしまったが
プリンス・オブ・ウェールズはほぼ何もしてない。リーチ艦長が教科書タイプの艦長で簡単に航路を読まれてしまったからね
戦闘不能で漂流してレパルスに攻撃が集中したので割と長いこと浮かんではいたが >>3
台湾沖航空戦の直後に米機動部隊を雷撃した攻撃第252飛行隊は
17機中、1機しか生還しなかった(一説には2機)
しかもこの攻撃は敵戦闘機の不意を突いた形で実施されており
生還した隊長機は被弾により、変則的な増減速が起こって偶然助かったというから
当時の通常雷撃は実質特攻と同じ
九九艦爆の場合でも進路上に邀撃、帰路で待ち伏せされて全滅に等しい被害を受けた
(南太平洋海戦1942年10月の時点でさえそのような状況だった)
これは米機動部隊の対空砲火や、レーダーによる早期発見からの邀撃配置もさることながら
日本軍の進撃高度が常に同じだったことが被害を増加させる結果に繋がった
(後に薄暮攻撃→電探装備の天山・彗星による夜間攻撃に作戦方針を変えたが、前述の台湾沖航空戦のように徹底されなかった) >>73
九七艦攻はあまり特攻には使われてない。この機体は701空か131空か931空の夜間雷撃用の機体だと思う。懸架装置が魚雷用だし >>11
大型で鈍重な双発攻撃機をたった3機の撃墜で二隻の戦艦が沈没w
真珠湾ではいくら奇襲とはいえこれまたたった29機の損失で米太平洋艦隊の主力戦艦群に壊滅的な
ダメージと基地航空隊の壊滅だたな
大和沈没にはこれまたたった10機の米軍側被害だけだった
航空機の前では最早戦艦とか標的に過ぎないのかもな >>66
「九七式」が示す通り皇紀2597年(=1937年)に制式採用された機種だから
後年登場したものに比べ性能面で劣るのはやむなし
6年後に登場する後継機「天山」は約100km速くなっている >>77
米軍側は命中率は落ちてもいいから全機で一斉に急降下爆撃だたしな
日本側は一列に並んで前の機が急降下爆撃したらそれに続く形だた
だから米軍側は高角砲なりを一定の地点に照準し続けるだけで次から次へと勝手に敵機が飛び込んで
くる状態だた
まあ命中率を考えると日本側は前の機をみて修正出来るので日本側戦法の方が良かった訳だが
だが米側は真珠湾アレルギーもあって艦船にもう積めるだけ積んだ対空機関砲でヤマアラシみたいに
なってた、というのもある
雷撃も日本側は必中を目指して肉薄雷撃やったが米側は遠目から一斉に発射の後その場で反転逃走
だた
日本側の方が命中率高かったけど被撃墜も洒落にならないぐらいやられた
米側はまあ当たらなかったけど大戦後期になると数の暴力でどうにでもなったからな >>32
97式艦攻改(熟練) 試製三号戊型(空六号電探改装備機) 96陸攻や1式陸攻で魚雷攻撃? と最初は思ったが、落ち着いて考えたら
やはり速力は300Km/h以上は出ているんだろうし、魚雷艇や駆逐艦よりは
比べ物にならないくらいの優速だし、低高度で進路を維持できる技量があれば
まず外さないくらいの実績は叩き出せたのだろうなと
ただ、対空砲火も強力になった後半は中攻(陸攻)での戦果は上がらなくなったね
さすがに、あの槍衾のような対空砲火に突っ込むのは自殺行為か >>56
酒気帯びでもまともに運転できなくなるのに
3次元の動きをする飛行機をまともに操縦できないだろう >>69
中島製の一号か三号艦攻だと思うよ
三菱製の二号は固定脚だったから >>76
リーチ艦長は艦長が艦と運命を共にするのは意味が無いと脱出したけど波に呑まれて助からなかったんだっけ。
フィリップス提督は潔く艦に残ったのに。 九七式艦攻と類似品の見分け方
流星は翼がカクッってなってる
彩雲は人の乗る場所がもっと長い >>87
現代でも米軍パイロットはアンフェタミンという覚醒剤打ってから出撃してるよ。
注意力が高まるそうな。 僕らの幸せな日常の対価として死んでくれて身代わり有難うなどと言う侮辱を、特攻兵に平然と述べる奴は彼らを侮辱する筆頭である >>84
日本の艦攻乗りの多くは魚雷投下後にそのまま敵艦の上を通過するから序盤から落とされてたみたいだよ >>83
ゼロ戦もその辺の駐屯地の地下にって話があるな >>84
後半どころか序盤で既に馬脚を現してる
1942年2月20日、米機動部隊攻撃に発進した陸攻17機は15機が未帰還、戦果なし >>93
ただ命中率が桁違いに良い
米軍の雷撃機の集中攻撃を日本艦が全弾回避した話なんて結構あるし
鈍重な戦艦や空母や重巡でもね >>81
確かに日本軍と米軍では搭乗員の感覚に大きな違いがあったろうね
あっちはキリスト教で自殺は悪という認識だし
生還してヒーローになることが最良で、
日本人は出撃する時点で死ぬ覚悟をしてる兵士が少なくなかったから自爆(体当たり)も各海戦で発生した
実際どういう理由か分からないが、何もない海面に爆弾落として帰る敵編隊もあったとか
(駆逐艦「槇」航海長 後藤氏の証言) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています