【佐賀】「よみがえる邪馬台国」 豊前・宇佐地域の出土品を紹介する企画展 [樽悶★]
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弥生時代、交通の要衝だったと考えられている豊前・「宇佐(うさ)」地域の出土品を紹介する企画展が、吉野ヶ里歴史公園で開かれています。
企画展は、魏志倭人伝に記され、弥生時代、各地に存在したと考えられている「クニ」の姿を紹介し、邪馬台国や吉野ヶ里遺跡を知ってもらおうとシリーズで開かれています。
今回は、弥生時代に陸上・海上の交通の要衝だったと考えられている、現在の福岡県行橋市や大分県宇佐市周辺、豊前・「宇佐(うさ)」地域の遺跡の出土品を紹介しています。
宇佐市で出土した銅矛は、ほぼ同じ形のものが島根県でも見つかっていて、九州から豊前地域を通して運ばれたと考えられています。
また、朝鮮半島との交流を示す銅鐸などもあり、この地域が物流の重要な拠点なっていたことがうかがえます。企画展は、11月8日まで、吉野ヶ里歴史公園で開かれています。
10/26(月) 12:51配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201026-00000002-sagatv-l41
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20201026-00000002-sagatv-000-1-thumb.jpg >>1
まあ、
国家の形成には、破天荒な富の蓄積が必要だからな。(それ以外は群落止まり)
もし朝鮮半島経由で大陸と交易をして、その富の蓄積を図ろうとしても、
当時の交易品の運搬手段は、まだ馬車もなく、馬か人の背で運べる程度の細々としたもの。
これじゃ、とても国家形成に至るような富は蓄積されない。
やはり、北陸の港から大型船(中国ですでに開発されていた)を利用して、
日本海を縦断して直接対岸の中国大陸と交易して、その速度と快適性により膨大な交易をしてこそ、
国家形成に至る富は手にできるだろう。
当時、その北陸地方と直接結びついた奈良盆地は、繁栄地として日本中に鳴り響いていたハズだ。
だからこそ、神武が九州の南の田舎から、ガムシャラにその繁栄の地「近畿」を目指したといえる。 >>2
三国史記…朝鮮半島南「狗邪」は「倭国の北限」
宋書倭国伝…朝鮮半島は倭が支配している
広開土王碑…倭国が海を渡り百済と新羅を臣下にした。
日本書紀…391年神宮皇后が百済と新羅を日本領土とした。
宋書…倭国が朝鮮半島南部を領地にした。
随書…倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済と新羅は倭国を大国として敬った。
梁職貢図…新羅は倭の属国 >>4
まあ、その意味で、
神武は「押し込み強盗」と言えるのだがなw >>3
豊玉姫(いわゆるトヨ。神武のおばあちゃん)と玉依姫(神武のママ)の墓の上にある、が正しい。 調べれば調べるほど邪馬台国は九州だったんだろうな、と思う 宇佐には京都郡があって、秦氏が東に基盤を広げたのが今の京都。
つまり、応神以降の天皇は秦氏の子孫。邪馬台国の卑弥呼=アマテラスの子孫神武系を
淘汰し、伊勢神社を遠ざけて八幡神を広げたのはそのため。 正しい歴史を学んだ方がいいのでは?
唐は日本を対等国と見てないぞ?
白村江の戦いで唐に負けて
賠償金払え!えー…→支払い
お前も仲間に入るか?→入る!
ちんこ切れ!→えっ…やだ
ちんこ切れ!→えっ…やだってw
(遣唐使中断)
朝鮮半島で戦争。日本どころではなくなる
まあいいや。許す。
遣唐使再開。
↓
唐滅亡
だぞ? 〜愚民化政策〜
🇺🇸コーラの瓶だ!!コーラの瓶が落ちていたぞ!
すげーや!何だこの便利な物は!!
神棚に供えて毎日拝まなければ!!🙏 そんなものに引っかかる🇯🇵大和民族じゃない!
と思いきや、🎰何十年も引っかかってるw >>15
父方は九州山地の西側(火の国)の出身で、母方は宇佐(豊の国)の出身。 ※当レスは広める事を希望して複数のスレに貼っています
みなさんも生活安全警察による通称やりすぎ防犯パトロール問題と、創価学会による組織的な嫌がらせ行為の問題はご存知だと思う
これらに関してネット上で流布している情報には、誤りも多い為、簡単に説明すると
前者は、生活安全警察が防犯活動と称し、特定個人に対する尾行・監視・付き纏いを行い、防犯協力と称し精神的拷問と虐待を加えている問題で
後者は、創価学会が、適当な理由をつけて嫌がらせを正当化し、住民達にまで協力を要請し、加担させる形で
地域ぐるみでの尾行・監視・付き纏い、就労妨害、解雇工作、悪評流布、その他、嫌がらせ行為を働き、精神的拷問と虐待を加える問題だ
某法律事務所に所属する弁護士が、顧問企業で、創価学会による嫌がらせ行為と全く同じ手口を用い
邪魔になった従業員達を解雇に追い込んでいたというとんでもない大事件を起こしていたそうで、被害が発生した企業は何社にも渡るという
その情報に関して、東京地裁で行われた民事裁判で、下記の資料が提出されて、公開文章となっているという
X敗訴で明らかになった女弁護士のブラック過ぎる手口 2011年9月11日 19時11分
http://news.livedoor.com/article/detail/5852938/(リンク切れ)
>(中略)
>Bさんは、裁判所に提出した書面に、M・HM法律事務所のT谷弁護士が過去にも大手コンサルティング会社の弁護活動において、
>悪質な手口で一般社員を追い込んでいたと告発している(以下、裁判所の公開文書より抜粋)。
>
><T谷弁護士は(編注:原文は本名)都内の大手コンサルティング会社から労働法の専門弁護士として依頼を受任し(略)、
>都合な社員や退職させたい社員がいる際には、まず集団ストーカーと呼ばれる手口で、その社員の周辺に複数の人間が常につきまとい、
>その社員に精神的苦痛を与え続け、その社員がたまらなくなって、怒鳴ったり暴力を振るったりしやすいようにする、
>もしくは精神的苦痛で自殺しやすい状況にする行為を続ける>
><このような集団ストーカー行為、もしくは産業医の制度を悪用する手口を使って、被害を訴える個人に対し、
>精神分裂症等の精神病として診断書を作成して被害者の発言の信憑性を低下させ、その上で産業医が治療と称し措置入院等を行う事で、
>報道、捜査機関、裁判所等を欺いて対応が出来ないようにし、さらに一般市民を自殺や泣き寝入りに追い込む>
※当該記事にはウェブ魚拓かあり、そちらをお読み頂ければ、ソースがきちんと存在する実話であると理解できます
重要なのはこの部分である
【精神的苦痛で自殺しやすい状況にする行為を続ける】【一般市民を自殺に追い込む】
【その社員がたまらなくなって、怒鳴ったり暴力を振るったりしやすいようにする】
手口が同じである以上、迎える結末もこの記述と同じである、という事になるので
つまり、生活安全警察のやりすぎ防犯パトロールや、創価学会の嫌がらせ行為は、特定個人を精神的苦痛から自殺させる
あるいは、傷害事件、傷害致死事件や殺人未遂事件、殺人事件を起こさせる事で、社会的に抹殺する事が真の目的である、という事だ
しかし、よく考えて欲しい
過去に生活安全警察のやりすぎ防犯パトロールや、創価学会の嫌がらせ行為で、傷害事件や殺人事件が起きた、という報道があっただろうか
これら嫌がらせの特徴は、精神的苦痛から自殺しない場合は、特定個人が傷害事件か殺人事件を起こして終わる点にある
簡単に説明すると、やりすぎ防パトも、創価の嫌がらせも、悪評が地域でばら撒かれ、特定個人は人間関係を破壊され、社会的に孤立し
社会的信用も職も失い、かつ、近隣住民達からも白眼視される為、嫌がらせをしてくる近隣住民達に激しい憎悪を抱くようになり
津山三十人殺しを起こした都井睦雄と、全く同じ精神状態に追い込む為である
従って、確実に傷害事件や殺人事件は発生している
報道がないのは、生活安全警察が事件の隠蔽を図り、通常の傷害事件、殺人事件として処理すると同時に
マスコミに圧力をかけて、真相を調べさせないようにしている為である(創価学会の嫌がらせの場合も同じ)
生活安全警察幹部、創価学会幹部、防犯協会役員らが、刑事罰に問われたくないと自己保身に走り、隠蔽しているわけです
大量殺人や殺人事件を何十件も誘発しておきながら、処罰逃れしている彼らを裁判にかけるべきです
創価学会は非合法化の上、解散させるべきですj63 >>2
狗耶韓国=金官は日本だったと、
魏志倭人伝及び後漢書東夷伝に明記されている。 ジーグ「まいったな、また全滅させるところが増えてしまった」 再開発された吉野ヶ里には3世紀の墓がない
1世紀のはあるよ 北の方で甕棺が展示されてるよね それは1世紀
3世紀のはない 吉野ヶ里は防人の出張先だったんだよ
任務期間が終わると集落に戻っていい徴兵制があったと考えててる とりあえず当時の寿命が20〜30歳ぐらいだったと言われる時代に45歳で東征開始して120歳まで生きたと言う神武天皇の話はもういいよ
記紀は当時の人間が自分たちの政権に都合のいい話をでっち上げたファンタジー書だろ >>26
年齢に関しては1年に2歳数えたっていう説はありえると思うけどね 邪馬台国九州説論者、こんな所でぐだぐだ言ってないで、企画展を見に行ってやれよ。 特に深い考えがなかった子供のころ
なんとなくだけど邪馬台国は九州でその後東に進出していって中国地方あたりで狗奴国と戦って負けて
狗奴国が大和朝廷になったと思ってた
たぶん漫画「雷火」の影響もあってそんなイメージだったと思う >>23
魏志倭人伝と後漢書東夷伝をキチンと読みなさい。 もし邪馬台国が畿内だったとすれば
畿内に邪馬台国でその勢力は少なくとも静岡あたりまでは及んでいただろう
つまり狗奴国は関東以北ということになる
出雲とかも結局邪馬台国の支配下だっただろう
かなり進んだ文明だったってことになるな
そんなことある? >>28
そもそも天照大神の孫とかいう話からしてアホらしいとは思わん? 中国は漢帝国の末期だし
ヨーロッパはローマ帝国時代の後半ってとこ
日本の文明レベルがそのくらいの水準だったら普通にありえる話ではあるんだろうけど >>33
孫ではないでしょ
もっと間に色々あったはず
まぁ何にせよ神話とリアルがつながってるわけで
どこまでがリアルかっていうだけの話だからな
もっと言えば天照を初代ってしたっておかしくないところだったわけで
神武天皇を初代にしたっていうのはそれなりの理由があるはずよ 神武天皇と崇神天皇の間の天皇が特に何も功績あげてないっていうのが逆にリアルだと思う
空想の産物だったらそれらしいエピソードつくりゃいいじゃんと >>35
どっちにしろファンタジーだよ
書いてある内容の信憑性はかなり低い
信憑性が低い、という意味ではある意味魏志倭人伝も同じだけど
そっちの場合は単純に測量法とか色々とアバウトなだけで単純な道中記だから内容を素直に読み解ける
でも記紀は特定の意図を持って作られた記録だから全てにおいて信用できない
そんなもんを基に歴史を紐解こうなんて考えが間違い >>37
ウソが混じってるから全部ウソ
って考えるのはバカだよ
言い伝え自体はあるのだからそれがどこから来たのか、もとになったものは何なのかを考えるべきでしょ 天照なんているわけないから天皇は全部ウソ
とか言い出したら今の令和天皇は何なの?幻なの?って話になる 実在が確認されている実在したもの
実在が確認されていない架空のもの
の2択なのもゼロか100論なんだろうな
その間に「実在が確認されていない実在したもの」って普通にあるはずなのに >>39
全部ウソ、とは言わない
ただ限りなく信憑性がゼロに近い記紀を前提に仮説を立てるのは間違っている
少なくとも記紀が書かれた300年昔の文字すらない時代の記録なんて正しい訳がないとは思わんのかね? >>43
朝鮮半島南部の狗耶韓国は、
後漢の時代から日本。 宇佐は渡来人の秦氏が定住した場所でしょ。だから、八幡は秦氏の氏神。 >>36
リアルじゃない
一番リアルなのは
初代、二代、三代で超実績を残して
そのあとボンクラが続くのが
日本史における歴代権力者の後継の流れw
だから栄枯盛衰の三代で終わること多々w 佐賀人がキチガイ過ぎて応援する気が削がれる九州人続出 >>48
じゃあ天皇家も三代で終わってなきゃリアルじゃないって話になるじゃん
バカなの? >>3
昔、改修工事の時に石棺が見つかっているのは事実 奈良の書いたものは100年前の聖徳太子ですらいい加減、盛り盛り描写なんだから
それから数百年以上前のことをそれに頼ることはほとんど意味ないね >>50
だから実際と違うってわけw
もっとも日本と言う名前に変わったあたりで
リセットされたでしょw そこは100パーw
あと実際は藤原氏とか仕切ってるしw
その辺の権力闘争へ移っていく >>10
臺与の墓は但馬の豊岡
>>13
時代錯誤は朝鮮人の特徴w
>>40
論理の飛躍、○で朝鮮
>>42
朝鮮の三国史記をこき下ろすのはヤメロ
オマエラ、sage進行にしないと
くだらない雑音が混じるぞ >>48
崇神天皇が過大評価されてるような気がするかな。
大和政権誕生のきっかけは3代前にあったんじゃないかと僕は推測するかな。
それ以後の天皇が尽力し、崇神の御代で果実が実ったんじゃないかな。 >>57
それはあるね
名前に「神」が付く天皇は、まあ要注意&注目天皇はされてる >>28
新暦で5月が「麦の秋」
昔は稲刈りが終わって一段落したら麦の種を蒔いて
1月に麦踏み
https://hiyosi.net/2019/01/09/yotsuteko_shimoda_2019/
五月に刈り取り
麦の秋. 初夏. 麦秋. 麦の穂が成熟する五月から六月頃をいう。
『麦秋』(ばくしゅう)
小津安二郎監督の映画 1951年・松竹
原節子、笠智衆、淡島千景
戦後食糧不足時代アメリカからの小麦と脱脂粉乳で始まった小学校の給食によって
朝食はパンを食べるのが普及して小麦を作る農家が減った。
10月が「米の秋」、に9月に出荷される米は早場米(はやばまい)という
コメ余り時代になるまで土佐の高知では二期作といって
年に2回田植えをしていた。
米に続いて小麦を栽培するのは二毛作。 最新・最先端の邪馬台国佐賀ルート説、
さがテレビも、リキが入っているようではないか・・ 「末盧国 東南陸行500里 到伊都国」
唐津港から東南陸行五百里と言えば、多久市・小城市経由の県道48号線で、佐賀平野の山寄り中ほどだ。
そして、その東行100里が吉野ヶ里遺跡、ここが倭人伝にいう不彌国だった。
律令制下の三根郷(彌根郷)である。 神話と史実を当てはめるのは禁忌とはいえ、やっぱ神武天皇の東遷は、
魏の使節がやってきたことが変化したんじゃないかと思うんだよなぁ。 >>63
僕は国譲り・神武東征は紀元前後1世紀にあったと思ってるかな。 >>62
魏の使節自体じゃなくて、魏の権威、というか当時の超先進国の中国自体の権威とかはありうるな。
もらった鏡が権威の代行者の象徴で、
えーい!下りおろう!この鏡が目に入らんか?!
という乗り。
それで行くなら魏の一般的なタイプが当然で、それと違うタイプなら「別の権威の象徴」ということになるな。
魏なら、一応、後漢の皇帝から地位を譲られてる形だから、公式御用達の鏡なら後漢の様式が「古式ゆかしい正統のもの」ではないか? >>65
大陸王朝からの承認を得たって事実があれば、その権威を示す鏡は、
自作でもいいやんけぇってなったんじゃないかなぁ。 内行花文鏡なら後漢から魏の圧倒的なメジャーな物だから、全く矛盾しないな。
内行花文鏡を宝物として尊重し続けている家系って何かなかったっけ?
ん? それって天皇家? >>66
「絶対権威」ならそのままを奉ずるのが常識で、「それと違うオリジナル」を作ったなら、そのこと自体が「その権威からの離脱を形に露骨に表したもの」でしょ。
星型を十字形に変えたなら、それは星形からの離脱の意思表示。
星形も十字形も拒否するなら、それらと別モノだぞという意思表示。
丁髷を切ったなら幕藩体制からの離脱、高杉とかはそれだな。
辮髪を切ったなら清朝からの離脱。孫文なんかもそれだろう。
黥面文身は、当然ながらそのグループの象徴で、そうではないグループと一目で区別できる。ヤクザとカタギの区別になってた国があるよな。
後漢から魏に至る古典的な様式とは違う別の様式の鏡なら、魏の権威と元々無関係の別個の物か、関係があったならバッサリと決別する明確な意思表示ということになるな。 鏡について、「後漢から魏の頃の様式とは違う形式の鏡」を尊重していたなら、それは「後漢から魏の頃の形式の鏡を尊重するグループとは別モノ」という明確な物証ということになるな。
さて、畿内の古墳は、どれとどれがどっちのグループだ?
今後の研究に待つ必要って、あるの?
三角縁とかいう正体不明の特異な形式のが出た古墳は、尽く「後漢から魏の頃の様式を尊重するのとは別系統」だよね?
その独自の歴史は、とっくの昔から研究されてるんじゃないの? 邪馬台国は国東半島だけど卑弥呼の祖先は鹿児島生まれよ。 まさかとは思うが、内行花文鏡形式を尊重する家系が、三角縁とかいうのを尊重する系統と一貫して連続したものであるとか、不自然で奇妙なことを主張したりしてないよね? >>62
小保方った挙句に、三角縁とかいう特異な形式の鏡を尊重していたグループの実像を抹殺封殺しようと企むのがいるじゃない?
あれって何なの? >>63
神武東遷後に呉越の滅亡で九州に所謂倭人が渡って来たとかな 平成31年産水稲の全国、都道府県別の10a当たり平年収量
https://www.maff.go.jp/j/press/tokei/seiryu/attach/pdf/190315-3.pdf
お問合せ先
農林大臣官房統計部生産流通消費統計課
この統計を見ると
通し(篩ふるい)の目の大きさ
1 1.70mm基準ベース
2 農家等が使用しているふるい目幅ベース 近畿と九州は同じ1.80mmで
鹿児島 482ー468=14kg
奈 良 513ー500=13kg
福岡 19kg 兵庫 13kg 滋賀 12kg 京都 10kg
長崎 18kg
差が小さいほど米粒が大きい。
福岡より奈良のコメの粒が大きいことが判る。
鹿児島は活火山桜島の火山灰のせいで実肥えの燐酸が
吸収されてしまうのでコメ粒が小さいことがわかる。
バカな九州説信者に理解できるかなw 奈良盆地の大湿地帯の排水、客土の投入は製鉄を自前で行えるようになるまで無理
邪馬台国奈良盆地説は物理的に無理なんだよ >>63
若干、卑弥呼の方が早い
神武東征は卑弥呼の死後直後で
3世紀後半 >>77
凄まじい馬鹿だなwwwww
現代のデータ出してくるのかアホは。
考古学でも古代文献でも全部、当時の奈良の収穫高は最低ランクだよ。
北部九州がトップで、奈良は関東や東海にも劣る。 邪馬台国佐賀ルート
(其の始まり)
記紀風土記の仲哀・神功皇后記は2運繰り上げだという。
であるならば、当然ながらその事績の具体的内容は120年繰り下げて、実際には4世紀後半の出来事であったということになる。
そして糸島イトコク説の根拠の一つとされる五十途手ー伊蘇志伝説も、実は卑弥呼時代でなく、4世紀後半のことであったと考えない理由はない。 >>70
畿内の古墳に副葬されてる道鏡で最上位は内行花文鏡
三角縁神獣鏡は棺外に置かれるなど扱いは低い
一方、古墳時代の九州では三角縁神獣鏡が上位に位置づけられている
内行花文鏡はほとんど出土しない
位至三公鏡など小さく低ランクの鏡に偏るのも九州の特徴 交通の要衝というのはそこに何かがある訳では無く
通過地点というだけでは?鳥栖みたいな 神武も崇神もヤマトタケルも神功も全部、卑弥呼の同世代になっちゃうでしょうが?
神話なんだから、神武は2600年前で良いんだよ。
神話は、眉に唾つけて良いので、そのまま読んでください。
190年から247年までの筑紫には卑弥呼が居たんだから、
このころ、東海関東方面統合始めてる大和朝廷系は、九州から東遷はできません。
そもそも、古墳時代の400年以前って、地方豪族と大王の差が無くて
まだ王権確立してなくないか?
倭の五御時代に繋がる
370年の七支刀貰った王権って
ちゃんと世襲で、繋がってる?
まあ、疑惑の継体天皇の話か?
まだ豪族同士の後宮で権勢争いの政治してないか?
源氏物語までか知らんけどw (其の1)
新井白石以来の邪馬台国論争は、畿内説・九州説を問わず、「糸島=伊都国説」を信奉信仰する人達ばかりであったといってよいのではないか。
しかし、一般的に末盧国と比定されている唐津市周辺から見て、伊都国であろうと思われる糸島市は、実は東〜北東の方角に当たる。
そこで近年は「東南陸行500里」を原文通りに読んで、
多久市・小城市・佐賀市(伊都国)・吉野ケ里(不彌国)を経由するいわゆる佐賀ルート重視の人たちが勢いを増している。 宇佐って実にミステリアスだ。古代史上重要な役割を担ったはずなのに、
さっぱりわからない。オレが無知なのかもしれないが・・・。
まず、宇佐をローマ字にしてみろ。USAだ。これを見て不思議に思わないヤツはおるまい。
「うさんくさい」の語源もそうだろ。マジレスすると、宇佐神宮の祭神、ヒメ大神の由来も不明らしい。
卑弥呼だという人も居る。宇佐のある豊前は魏志倭人伝のクニのどこかに比定されてもおかしくない。
謎だらけ。 【行き】
末廬国(島根県の松江)から
【北に進んで】一大国(隠岐の島)
【北に進んで】日本海(東海)上にある絶海の孤島の対海国(鬱陵島)
【北に進んで】朝鮮半島の日本海(東海)側の辰韓の斯盧国(新羅)
【西に進んで】朝鮮半島沿岸を伝いながら弁韓の弁辰狗邪国(狗邪韓国)
【西に進んで】朝鮮半島沿岸を伝いながら黄海側にある帯方郡
【帰り】
朝鮮半島の黄海側にある帯方郡
【東に進んで】耽羅国(済州島)を南に見ながら
弁韓の弁辰狗邪国(狗邪韓国)
【東に進んで】日本海(東海)上にある絶海の孤島の対海(トウカイ)国
【南に進んで】一大国(隠岐の島)
【南に進んで】末廬国(島根県の松江)
・絶海の孤島の対海(トウカイ)国は対馬だ
・一大国は一支国だ
・一支国は壱岐だ
・末廬国は九州だ
は
邪馬台国を九州にするための妄想だよ >>65
当時大陸の威光なんてどれだけ通用したの?
大陸の存在自体認識ないだろ >>90
女王国の東、渡海千里のそのまた先の、倭種どものクニグニでは、まあそんなもんだったのだろうな
まことご明察。 >>90
金、戦争に絡む情報伝達はものすご早い。
小なりといえど国の指導層となればバカじゃないし、大陸の文明を
認識はしていただろう。
もちろん、日本海を隔てていれば軍事的影響力は、限られていた
から、優位性を示し権威づける程度でしかなかったろうにしても。 過去の日本で中国の権威、なんてものが日本に影響を及ぼしたことなんかあったっけ
近年の民主党以外記憶にない >>93
57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見し
後漢の地方官だった公孫度が遼東地方に樹立した半独立政権「帯方郡」とともに200年近く倭国王として君臨していた
天皇家の祖先の『後漢書』では「倭奴國」・日本の記紀では「筑紫城」
に、ポッと出の親魏倭王の邪馬台国が対抗するには
国産の鏡を、魏の皇帝からの賜り物だっつってばらまくぐらい
中国の権威に頼るしかなかったのだろうね >>94
それはお前の妄想だろ?
やっぱ記紀とかいう妄想伝をあてにする奴は妄想癖があんのか? 奈良に邪馬台国があったとしたら北九州にあったとされる国々を旅程に詳細に書いてその先を書かないのは余りにも不自然
普通に北九州にあったんだな (其の2)
古代唐津港の中原遺跡から、松浦川を上流へ向かい、小さな峠を越えて300里で佐賀平野の入り口の多久市に出る。
ここで東に折れ、小城市を経て200里、合計500里(37.5q)で伊都国に到る。
この伊都国の最有力候補地は、佐賀市山寄りの大和町の長崎自動車道北側・川上大願寺地区だ、
古代、ここには熊襲タケルの屋敷があったといい、その北の山中にはタケルの菩提寺もある。
今ここには古〜い太神宮(五社大明神)が残されており、藤原氏の祖を祀っている。
この大明神の祭神の一人が藤原の祖のタケミカズチノカミなのだが、実は其の父君の名は「伊都之尾羽張」といった。
これが「伊都国」の微かな名残りなのであろう。 >>93
>過去の日本で中国の権威、なんてものが日本に影響を及ぼしたことなんかあったっけ
へ〜〜〜、知らんかったのか
日本の元号名は、御本家中国王朝/政府の大御用学者に御意見を伺ってから定める習わしだったのだよ。
ま、「令和」に関しては異例の経過だったらしいが、それでも中国の古〜い漢詩の一節に由来する元号なのだ。 >>54
「実際と違う」ってどういうことだよ
マジで何言ってんだ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています